「北海道ミンク新聞」重要記事|鳥獣と家畜のあいだ—近代日本の毛皮産業と牽引力

「北海道ミンク新聞」重要記事

 「北海道ミンク新聞」(創刊号1962-8-10、最終号1981)は、その名のとおり北海道のミンク産業の動向と伝えるメディアであった。単に新しい情報を掲載するに留まらず、日本のミンク産業の黎明期の記録や戦前からの技術継承を特集し、さらには埋もれた功労者を顕彰するなど研究的内容の記事も多く見られる。ただ、報道機関のマナーとして情報源は秘匿されることが多く、公文書を参照して記された記事であっても出典が無いことが多い。
 発行人の新井好男氏は、戦前の一時期を満洲で過ごし戦後は函館新聞社に勤務、その時の応募原稿が2等入選となり「北海道の新しい姿」(北海道庁編 1948)に収録されている。その後は(財)北方圏センターの機関誌「季刊北方圏」でも毛皮に関する連載記事「北方圏の毛皮獣たち」(1973.秋–1975.夏)や「皮ごろもを愛した王朝の美男美女たち」(1975.秋)を執筆し、雑誌「北海評論」(1974.8)に「毛皮の王者ミンク 北海道産業風土記5」を掲載した。この記事は、単一の記事ではもっともまとまったミンク産業の紹介である。戦前からの歴史、突然変異による淡い色彩の毛皮を持つ品種から養殖が盛んとなったこと、戦後の日本のミンク産業の展開、執筆当時の飼育場の1年やオークションなどまとめて知ることができる。
 以下、筆者の視点で重要と感じた記事を列記しておく。人名は省略したりイニシャルに代えた場合がある。記述は、記事タイトル、号数、の順。一部記事に内容要約を付した。[ ]は筆者による注記。「日本ミンク産業の歩み 戦後編」は別ページに詳細を記した。

ミンク飼養の基礎知識 1–
日本貿易振興会がアメリカの市場調査実施と報告会  2
戦前からミンク飼育を手掛けた菊地留吉氏  13
釧路ミンクが廃業 日本水産傍系の釧路ミンク株式会社は今シーズンをもって事業を停止、全頭数を剥皮した  42
毛皮ブローカー深沢勝二郎氏  43
わが国のなめし技術は一般的によくないといわれている 輸出産業としてのミンク毛皮の現状と問題点 札幌通産局資料12(1969)  79
ミンク農協 横領容疑で係長逮捕  82
毛皮増産下のソ連 アフナーシス氏論文から  82
カナダ毛皮使節団が来日 HBCモントリオールが団長(1969)  83
オレゴン州アストリアのオーティオ飼育場で実習中の日魯毛皮・KT氏  83
毛皮資源としては国内で唯一の生産品であるミンクに対し、国の態度は冷たい  83
ミンク農協理事 戦時中、海軍に防寒用のアザラシ毛皮を納入する紋別海獣会社を設立、松田鉄蔵社長[のち代議士]の下で32歳の若き専務取締役として活躍  84
海外に毛皮宣伝 農林省がファー・オブ・ジャパン 美しい英文パンフレット  84
松前小島のイエウサギは函館の毛皮商の企図 犬飼哲夫教授  85
広告 オークション三分裂 日本ミンク毛皮販売・北海道ミンク農協、住友商事、東邦ミンク  89
鍋谷毛皮がオークション 2月26日、東京浅草の皮革会館で独自のミンク毛皮オークションを開催、自社生産品を中心に約1万5千枚を上場  91
広告 日本捕鯨株式会社 蔵王ミンク  91
話合いによる統一オークションを  92
千歳空港に”ニチロ”開店 日魯毛皮は10月10日新装なった千歳空港ビルに売店「ファーショップ・ニチロ」を開店した  99
蔵王山麓にミンクの基地 日本捕鯨の飼育場を訪ねて 蔵王町遠刈田[とうがった]温泉から南西4kmの北原尾 昭和37年開設  106
広告 第59回レニングラード国際毛皮オークション全面広告  110
広告 大洋ミンク株式会社 本社:札幌市北3西7水産ビル、事業本部・鶴居飼育場:鶴居村下幌呂、厚岸飼育場:厚岸町太田4番通、厚岸北飼育場:厚岸町太田8番通、釧路飼育場:釧路村達古武  113
広告 第60回レニングラード国際毛皮オークション全面広告  113
広告 シャインミンク株式会社 本社:名古屋市昭和区滝子通り3-10、飼育場:広島町輪厚276[ずいぶん前の号から同一広告あり]  115
寺田[弘]氏がコペンから第一報 毛販派遣員   115
エコロジー荒れる 寺田[弘]氏がアメリカから第二信 パリのオークション会社[名前なし] 毛販派遣員   116
寺田[弘]氏の最終レポート 鎖国的感覚を脱却しよう 帰国は日魯社員として数カ国訪問 ライプチヒのインターベルツの K. Wille 氏 フランクフルト  117
日本ミンク産業の歩み 戦後編(1)  118
日本ミンク産業の歩み 戦後編(2) 日魯嘱託・鈴木与志夫氏  119
広告 第61回レニングラード国際毛皮オークション全面広告  119
日本ミンク産業の歩み 戦後編(3) 分娩数はトップが東邦ミンク、次いで鍋谷千代蔵氏、審査員にチャールス手嶋三郎氏、先人を偲んで  120
日本ミンク産業の歩み 戦後編(7) 昭和33年に東邦ミンクが飼料の20%を占めていた馬肉を鯨肉へ転換  125
広告 第63回レニングラード国際毛皮オークション全面広告  125
北海道ミンク新聞 発行人:
アメリカ留学生第1号 H氏 畜大→道立滝川種羊場→東邦ミンク  126
鯨肉を大量ミンク用に 南氷洋ものをソ連から輸入  131
広告 第64回レニングラード国際毛皮オークション全面広告  131
アンディ鈴木氏シアトルに移転  132
広告 第65回レニングラード国際毛皮オークション全面広告  134
塩沢毛皮店開く 札幌市中央区北1条西20丁目  136
広告 第66回レニングラード国際毛皮オークション全面広告 北朝鮮生産品という枠あり[今回気付く]  137
広告 第67回レニングラード国際毛皮オークション全面広告 北朝鮮生産品という枠あり  143
ふりかえり記事 昭和39年日魯毛皮で委託飼育始まる  146
広告 第69回レニングラード国際毛皮オークション全面広告 北朝鮮生産品という枠あり  149
毛皮ブームが再来 アメリカ  163
加藤秀一氏退任挨拶  165
第1回毛皮動物生産に関する国際科学会議  166
寺田周史「販売問題」に対する私論 見開き記事  167
ミンク飼育の開祖逝く 米沢雄一さん  168
オークション今年から4つ ミンク毛販、東邦ミンク、住友商事、ミンク農協  173
毛皮の輸入増加 ミンクも前年比3倍以上  185
ホンコン製品で国内市場が打撃  187
関税引下を要望 日本原毛皮協会など主催の第14回全国毛皮業者大会[原毛皮協会は陳情団体]  188
ナメシ工場待望論 深澤勝二郎氏  207
塩田義蔵氏に道新文化賞 明治42年生まれ、戦時中は帝国毛皮統制会社の専務、昭和12年からミンクの養殖を開始  220
脱走の被害広がる[はじめて外来種問題の記事]  226
終号  227

日本ミンク産業の歩み 戦後編 1–8 118–
詳しくは北海道ミンク新聞「日本ミンク産業の歩み 戦後編」

1 118 1972-5-20
ミンク産業の戦後史は昭和27年に始まる。O農務部長が道庁職員として戦後初の渡米し3か月間視察した。
ミンク飼育には三井物産(当時は第一物産)の子会社、東邦ミンク
大手水産会社の参入につながった
個人経営の飼育場も、紋別をはじめ、空知、留萌、道南、石狩で始まり、36年頃には道内飼育場は約500、飼育頭数はピークで17万頭といわれるまでに至った

2 119 1972-6-20
道は「北海道物品貸付および譲渡に関する条例」に基づきミンク輸入に先立つ昭和28年8月25日付けで北海道規則第170号「北海道ミンク貸付規則」を公布した。
第1回輸入ミンクの受領担当者はST技師(現・札幌畜産公社)で、戦前からの飼育経験者の鈴木与志雄氏(現・日魯毛皮嘱託)で16日間二人で四畳半で暮らした。

3 120 1972-7-20
昭和30年はピーク時に飼育数2千頭、東邦ミンクが260頭、鍋谷千代蔵氏が47頭を輸入、後に特殊密集飼育地帯となった紋別地域に2つの足がかりができた。
28年5月30日は北海道ミンク協会が結成されている。会長:O道農務部長。30年8月31日には北大農学部で協会主催の第1回北海道ミンク共進会が開催された。審査員には犬飼哲夫教授やチャールス手嶋三郎氏などがあたった。
「今は亡き先達を偲んで」として5名について簡潔に記す。

4 121 1972-8-20
「写真特集 ミンク農協10年」。写真とキャプションのみで1ページ。38年9月9日「網走地方ランチミンク農協」が解散。

5 123 1972-10-20
道による種畜ミンクの輸入は5年計画であったが2年で打ち切りとなり、後は民間による輸入となった。
28年5月30日に結成された北海道ミンク協会は40年8月に日本ミンク協会と合併し、社団法人日本ミンク協会が設立された。北海道ミンク農協は38年7月に設立されている。

6 124 1972-11-20
「飼育籠の完成まで」 小樽、加藤鉄網株式会社前社長談。

7 125 1972-12-20
ミンクの飼育の課題のひとつは餌にあった。東邦ミンクは藤の沢飼育場で鯨肉を用いることを試行、昭和33年には全面的に馬肉から切り替えた。
34年1月14日は皇太子との成婚を前に納采の儀で正田美智子氏がサファイアミンクのストールを着用し、一般の認知が高まった。

8 125 1973-1-15
 29年に東邦ミンクから派遣されアメリカで10か月の研修をおこなったH氏のレポート。研修先はソルトレーク市の手嶋氏の飼育場。


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