北海道新聞朝刊コラム「朝の食卓」平成11年(1999)12月23日

捕鯨遺跡

先日、浜中町霧多布を訪れた。市街地は津波よけの高い防波堤で守られているが、まちはずれに可動式の門がある。外側には太平洋に向かってコンクリートのスロープが延びている。このスロープを最盛期には年間八百頭以上のクジラが通過した。ここは、一九七〇年代まで使われていた日東捕鯨の鯨体処理場の跡である。

捕鯨といえば南氷洋が思い起こされるが、北海道沿岸でもナガスクジラやマッコウクジラなどの大型鯨種が捕獲されていた。大正時代から網走、根室、浜中、厚岸、そして北方領土の色丹島や択捉島など、道東や北方領土に次々と捕鯨基地がつくられた。とくに千島列島近海は、もっとも有力な沿岸捕鯨の漁場だった。

その後、二百海里経済水域の設定や国際規制の強化により捕鯨は次第に衰退。大型捕鯨の基地はすべてが閉鎖された。そして港の埋め立てや再開発などで、多くの場所でその痕跡すら失われてしまった。

ところが霧多布ではさまざまな条件が幸いした。市街地のはずれで漁港や港湾にもあたっていない。正面から潮風と波が押し寄せ、後ろは崖(がけ)が迫る狭い土地。ウインチの台や解体場も残っている。

今年は日本の近代捕鯨百周年にあたる記念の年だった。残されたスロープを貴重な産業遺産として、見直したい。


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