北海道新聞朝刊コラム「朝の食卓」平成11年(1999)5月16日

博物館の仕事

春、雪が解けると納屋や倉庫の大掃除が始まるが、博物館にとっては民俗資料が集まる季節でもある。「混ぜればゴミ、分ければ資源」というリサイクルの合い言葉に見習えば、「捨てればゴミ、受ければ資料」というところだろう。

町の人からの連絡で納屋や倉庫に向かうと、人力や馬力が主な生産手段だった頃の道具や、むき出しの歯車がやたらに目立つ機械が待っている。お礼をいってありがたく頂戴してくるわけだが、いつも受け取れるとは限らない。たとえば漁船や機関車などは大きすぎ、運送上の問題や収蔵スペースの都合で持って来られない。同じ巨大なものでも恐竜の化石に比べると、地域史や産業史の資料へのお金の掛けようは、まだまだ低いのが現実である。

しかし、古びた道具や変わった機械も当時の技術革新により生まれたものであり、人々の暮らしの貴重な証人である。物を調べ、人に聞き、歴史を深く知れば、何気ない物にでも資料としての価値が生まれてくる。それらは現在では見られなくなった知恵や工夫があり、独自の存在理由を持っていた。

文字は歴史を記録するが、記憶は伝えられない。博物館の資料は、実物に触れることで世代を越えた記憶を呼び起こす。今日もまた、どこかで眠ったままの資料に意味を与える仕事が待っている。


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