7月14日,知床が世界遺産に登録された.ウトロのホテルでは祝い酒が振る舞われたそうだ.当方にも執筆依頼など来ることもあり,わずかながら「遺産効果」の恩恵に浴している.
けれども,地元の人たちにとって世界遺産は,はたしてどんな意味があるのだろう.斜里や羅臼では,夏休みに親類や知り合いを頼って半島先端部にある漁業番屋に出掛ける楽しみがあった.年に一度,お盆の休漁中にだけ実現するお忍び旅行は知床の自然を直に感じる貴重な時間だった.漁師の世界への訪問は,この厳しく美しい地で働く人の存在を強く印象づけたに違いない.地域にとってみれば,知床は直に知っている人の稼ぎの場所であり,釣りや山菜採りをする裏庭でもあった.
これからの知床は,地元の手の届かないところへと行ってしまうのだろうか.役所や偉い先生方は自然保護施策や利用管理,漁業規制など困難な課題を議論するが,小難しい言葉は人と自然を疎遠にする.子どもたちは地元にいながら,世界基準の知床の自然を学んでいくのだろうか.都会から来て,空虚な言葉で自然を賛美する人たちと同じ思考に育っていくのか.
世界遺産に指定されたなら,それにふさわしい地元ならではの自然体験と教育の設計を実現してほしいと願っている.