ラッコ・オットセイ猟業に関わる法令の変遷|鳥獣と家畜のあいだ—近代日本の毛皮産業と牽引力

ラッコ・オットセイ猟業に関わる法令の変遷

開拓史事業報告第3編物産(大蔵省 1885)の「猟虎」の項の挿絵
 禁猟から外国船への対抗のために奨励、さらには外貨獲得と海外進出を推進、条約発効による陸上捕獲への限定、太平洋戦争により条約を破棄した再開、敗戦による中断、密猟の継続と摘発による中止、調査名目での継続、条約失効による調査体制の消滅、という経過といえます。分布が北太平洋4か国におよび猟獲は常に国際紛争を招き、法律や条約があっても違反操業や密猟が続いたことも特徴です。また、条約は海上での商業捕獲は禁止したものの調査名目での捕獲が継続したこと、その主体は漁業被害を訴えた日本であったことは捕鯨問題を思い起こします。オットセイ猟業は漁業管理を目的とした始めての国際条約を生み出し、条約体制下での陸上捕獲と海上調査を続けた後、条約の失効により完全に消滅しました。国際紛争と条約体制下で小規模猟業者が海上捕獲の担い手となる特殊な事業だったといえるでしょう。

1869(明治2)開拓史設置
  近世同様にアイヌが捕獲し開拓史の買い上げ
1873(明治6)開拓史の直営によるラッコ猟開始
  千島での官営ラッコ猟
1884(明治17)太政官布告第16号
  ラッコ・オットセイの猟獲禁止
1886(明治19)臘虎並膃肭獣猟獲及其生皮輸入販売規則
  ラッコ・オットセイの猟獲の特許化
1888(明治21)
  特許会社(=1社委託:大日本帝国水産株式会社、1895年から帝国水産株式会社)によるラッコ・オットセイ猟業
1895(明治28)臘虎膃肭獣猟法(施行1896-1-1)
  ラッコ・オットセイ猟獲が免許制に
1897(明治30)遠洋漁業奨励法(施行1897-4-1)
  <この間が遠洋オットセイ猟業の公的操業期間>
1911(明治44)膃肭獣保護条約の締結発効
  国際条約による海上捕獲の禁止。以降は国による陸上捕獲となる
1912(明治45)臘虎膃肭獣猟獲禁止ニ関スル法律(施行1912-4-20)
  同時に臘虎膃肭獣獵業者等ニ對スル交付金下付ニ關スル法律も公布施行された
1942(昭和17)臘虎膃肭獣猟獲禁止ニ関スル法律を「臘虎膃肭獣猟獲取締法」に改名改正(施行1942-5-20)
  日本海獣株式会社によるラッコ・オットセイの海上捕獲の再開。操業海域は千島列島
1945(昭和20)敗戦によりすべての海洋漁業の停止

 太政官布告第16号(1884)
 臘虎膃肭獣猟法(1896)
 臘虎膃肭獣猟獲禁止ニ関スル法律/臘虎膃肭獣獵業者等ニ對スル交付金下付ニ關スル法律(1912)

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