季刊・北方圏129号掲載(2004)

ノルウェーのクジラと捕鯨を巡る旅

ノルウェーは捕鯨砲を発明し、南極捕鯨を始めた近代捕鯨発祥の地である。現在も商業捕鯨を続ける捕鯨国であり、世界最古の鯨の岩絵もあるという。日本の鯨類学の創始者、小川鼎三博士は『鯨の話』(中央公論社)のなかで北欧の鯨類研究の状況と博物館案内を「スカンジナヴィア鯨めぐり」という紀行文にまとめている。この本に導かれた旅はテンスベルの博物館から始まった。(固有名詞の表記を改訂 2021.1.25)

鯨の博物館

テンスベルの景観 ヴェストフォル県立博物館鯨類展示室 左)ヴェストフォル県立博物館鯨類展示室
右)テンスベルの景観


テンスベルは首都オスロから南へ八〇キロメートル、列車で一時間半の距離にある海辺の町で、ノルウェー屈指の古い歴史を持つ。ヴェストフォル県立博物館はランドマークとなっている砦の丘のふもとにあって駅からも近く、コレクションは考古学、船と海洋、バイキング、鯨と捕鯨、町の歴史と農村の暮らしと幅広く、それに野外には民家などが展示されている。一見すると歴史博物館のようだが、じつは鯨の骨格の展示室が素晴らしい。シロナガスクジラにナガスクジラ、マッコウクジラと主要な捕鯨対象だった巨鯨三種、加えてミンククジラ、キタトックリクジラ、シャチの全身骨格があり、これだけそろった博物館は日本ではどこにもない。そして何よりも骨格が床からの支柱に陳列してあるのがとてもうれしい。

たいていの博物館ではクジラはその大きさ故に天井近くの高さを泳いでいる。ベルゲン大学博物館もそうだった。しかしここでは頭の高さに巨大な骨格が浮かんでいる。手が届く高さなので、自分の身体の一部と比較して鯨の大きさを直に感じることができる。シロナガスの下顎は乗用車がすっぽり入るほどの大きさで、骨の根元は一抱えもある。胸ビレの指一本の骨が自分の下腕とおなじ大きさだ。隣のナガスとの差は歴然で、肋骨の太さなど倍ほどもある。かつて南極捕鯨の捕獲割当がシロナガスはナガス二頭分とされたことも理解できる。ミンクに至っては大人と子ども以上の違いがある。反対側のマッコウは泳ぐ力が強いのだろうか骨格全体ががっしりしているし、歯を見ればこれが減って減ってまん丸になっている。相当の老齢個体なのだろう。こんなに間近に見える標本は初めてで感激してしまった。

ヴェストフォル県立博物館骨格標本 ヴェストフォル県立博物館シロナガス ヴェストフォル県立博物館捕鯨砲資料 左)ヴェストフォル県立博物館鯨類骨格標本
中)テンスベルの展示は手に届く高さ
右)同じく捕鯨砲改良過程の展示



隣町のサンデフヨル(サンデフィヨルド)には有名な捕鯨博物館があり、港には捕鯨船が動態保存されている。船内ではシロナガスを獲っていた頃の南極捕鯨のビデオを上映していた。博物館で購入できるが、日本とは再生方式が異なるので注意が必要だ。博物館の内容は本誌「海外レポート」の木村博子さんの報告にゆずり、公共図書館に移管された蔵書を紹介したい。図書館には連絡なしに訪問したのだが、気軽に部屋の鍵を開けて自由に見学させてくれた。コレクションは国際捕鯨委員会の報告書やサンデフヨルにあった国際捕鯨統計局の年報などが揃っているのはもちろん、極地探検の報告書が目立つ。なかには百年以上前に刊行された革装豪華本も数多くあった。極地探検も捕鯨もノルウェーにとってはおなじ文脈で語られる栄光の歴史ということか。
ベルゲン博物館自然史部門 捕鯨船サザンアクター サンデフヨル捕鯨博物館
左)サンデフヨル捕鯨博物館の展示室
中)捕鯨船サザンアクター
右)ベルゲン大学博物館自然史展示室








鯨の岩絵

ロドイの岩絵 ロドイの岩絵.四角く囲った部分にネズミイルカが描かれている

クジラの古典的教科書にE・シュライパー『鯨』(東京大学出版会)という本がある。ここに「もっとも古い鯨類の絵」としてロドイの岩壁、漂着したイルカの絵にスコゲル通の岩絵が紹介されている。この挿絵入りの記述は有名なのだが、ノルウェーの地図を眺めていても見つからない。文献も不明で、インターネットを英語で検索してもわからずじまいだったが、サンデフヨルの図書館で親切にも元教員という男性が手助けをしてくれ遺跡の場所を知ることができた。

ロドイの岩絵はなかなかへんぴな場所にある。トロンハイムから飛行機でんヌーラン県サンネションに飛び、バスでチョッタへ、そこからフェリーで行くのだがリクエストしないと家が数十軒しかないロドイ島には行ってくれない。ちなみに今回の旅行はベデローというコミューター航空会社の二週間乗り放題というフリーパスを使ったのだが、目的地不明のまま地方に行くには重宝した。遺跡への道は村のメインストリートからヒツジの放牧地を抜け、小川を渡り巻き道となって海の見える高台へと続く。そこが探し求めていたロドイの岩絵がある場所だった。

ロドイとは赤い島の意味らしい。フィヨルド地帯のこのあたりの岩山の多くが青灰色あるいは緑灰色なの対し、この島だけは赤茶色をしていて飛行機からもよく目立つ。しかし現地で赤い岩を見ると多数の亀裂が入っており至る所で崩落している。これでは何千年も昔の岩絵が残るとは思えないが、古代人もこのことをよく心得ていたらしい。イルカやアザラシ、ヘラジカの岩絵はいかにも堅そうな青灰色に冷たく光る美しい岩に描かれていた。となりの岩にはスキーヤーの絵があり、これは九四年のリレハンメル冬季オリンピックのスキーシンボルの原画となったものだ。それにしても曇り空のせいか、岩絵の線刻は見えにくく今にも消え入りそうだ。保存処理の薬剤もわずかしか残っていない。やっと会えたという喜びと、これで本当に何千年もの風雪を越えてきたのか、今後も耐えていけるのかと、不思議と不安な気持ちになった。

ロドイの岩絵スキーヤー ロドイ島 ロドイのネズミイルカ







左)ロドイ島の景観。ロドイとは「赤い島」の意味;中)赤線部分の拡大、右向きのイルカ(ネズミイルカ)の線画が見える;右)「世界最初のスキーヤー」としてリレハンメル冬季オリンピックのサインに採用されたロドイの岩絵

ベデロー航空のDH8 サンデフィヨルド空港 左)ベデロー航空のDH8;右)サンデフヨル空港;

もう一つの岩絵はオスロから電車で五〇分ほどのドラーメンという都市にある。スコゲル通は住宅地の道路の名前だった。スコゲルは森や木の意味なので森林通りとでもいうのだろうか、どおりで地図に見つからないわけだ。この遺跡はイルカ以外にも魚やヘラジカ、トナカイなどが多数描かれていて期待して行ったのだが、山の中腹にある遺跡のまわりは住宅が取り囲み、かろうじて車庫一台分程度の面積が保存されるのみだった。よく知られているイルカの絵はあったものの、説明板はなく文化財を示す看板だけが遺跡の存在を主張していた。北海道でもそうだが遺跡の現地保存は本当に困難だ。住宅開発との妥協点がこの姿なのだろう。

スコゲル通の岩絵 スコゲル通の岩絵 左)スコゲル通の岩絵は住宅地のなか
右)スコゲル通のイルカの岩絵







現在の小型捕鯨

レイネ 小型捕鯨基地のレイネの景観

ノルウェーは国際捕鯨委員会(IWC)が採択した商業捕鯨全面禁止(モラトリアム)に異議を提出しているので、この決議には拘束されずに捕鯨ができる。そしてIWCが導入を目指している資源管理の方式を先取りして、一九九三年からミンク鯨を対象に小型捕鯨を再開した。しかも過激な環境保護団体の活動に屈せず、年々捕獲枠の拡大を実現している。お祭り的な日本の捕鯨行政とは対照的に、ノルウェーは現実的な方法を着々と進め商業捕鯨の再開にこぎ着けた。それでも最盛期に比べ規模は縮小し、捕鯨や鯨肉加工から撤退した業者も多いが、現役の捕鯨者は若く新造船も見られる。新たに参入した加工会社もあって活力は失われていないようだ。

現在の主要な捕鯨基地は北極圏のロフォーテン諸島にある。この島々は中世からタラの漁場として栄えた場所で、漁期の冬にはノルウェー中から漁船が集まりたいへんな賑わいだという。訪問したのは八月でタラ漁はしておらず、春のニシン、秋のシシャモとの端境期でちょうど捕鯨が終わった頃だった。そもそもこの地方の捕鯨はタラの漁獲のない夏季の裏作的に始められたもので、捕鯨は副業というケースが今でも多い。捕鯨船も複数の漁法に対応して捕鯨砲の他にクレーンや揚網機などが備えられ、日本の常識からすればとても捕鯨船とは思えないような姿の船もある。大きさもまちまちで、日本の小型捕鯨船程度のものから沖合底引き船くらいの大型のものまである。出漁範囲は驚くほど広く、三週間分の水と食料を積み込みノルウェー海のヤン・マイエン島や北緯八〇度のスバールバル諸島にまで及ぶ。鯨は船上で解剖し赤肉のみを加工業者に販売している。白皮やウネはかつては日本仕様に成形し輸出していたが、現在は投棄されている。

新型捕鯨船 中型捕鯨船 左)2003年建造150tの捕鯨船;右)標準的な木造の捕鯨

鯨肉は普通の商品として価格競争にさらされる。一パック四百グラム入りの冷凍肉「ビーフ」として流通し、牛肉や豚肉など他の商品との勝負に挑む。こちらでの一般的な鯨料理は焼き肉かソテー、あるいはそのシチューで、骨も筋もない大きな赤肉が鯨肉のセールスポイントだ。日本では鯨肉や鯨料理に文化的プレミアが付いているようだが、ノルウェーではそんな扱いは期待できない。オスロやトロンハイムでも販売されていたが無造作に冷凍庫に置いてあった。工夫があるのは価格維持と信用取引の仕組みで、ノルウェー鮮魚組合の仲介が値崩れと掛け倒れを防いでおり、EU(ノルウェーは非加盟)からも注目されているのだという。

ロフォーテン諸島では西端に近い捕鯨基地レイネにある捕鯨推進組織「極北同盟(ハイノース・アライアンス)」も訪問した。これはノルウェーやアイスランド、グリーンランドなど北大西洋で捕鯨やアザラシ猟を行う国と地域に構成員を持つNGOだ。彼らはじつは日本語のホームページを持っている。そのことに触れると事務局長は急に饒舌になった。曰く、日本のことが心配で翻訳版を作成した、日本は本気で捕鯨を再開する気があるのか、あるなら首相でも大臣でも責任ある立場の人がそれを表明すべきだ、ノルウェーの捕鯨は国会決議で再開した、などなど。どれも正論で否定のしようがない。日本では捕鯨というと国粋主義的な捕鯨文化論が持ち上がり、捕鯨基地ではイベントの開催、そして世論喚起の大量のパンフレットなど小道具は盛りだくさんに用意している。それに引き替え責任ある立場の人の意思表示は行われない。なぜだろう。核心を突いた意見を聞いて目が覚める思いだった。これからの発想の原点になりそうだ。

ノルウェー鮮魚組合看板 ビーフ 鯨料理パンフレット 今回の旅行ではクジラと捕鯨に関して新たな発見がいくつも得られた。最大の収穫は、おなじ捕鯨国でもノルウェーと日本は技術や道具、制度習慣が違っているということだった。似ている面ももちろんあるが、それが多い分だけ違いが際立つのかも知れない。なお、紹介した博物館や遺跡の具体的な情報についてはホームページに掲載しています。


左)ノルウェー鮮魚組合の看板(スボルバル)
中)鯨料理のパンフレット
右)鯨肉は通常400g入りの冷凍肉「ビーフ」として販売される


鯨の旅ホームトップページ著作と経歴
Copyright (C) 2004 宇仁義和  unisan@m5.dion.ne.jp