ようやく暖かくなってきた。この季節、博物館は忙しい。このあいだも倉庫を取り壊すという農家から、使わなくなった道具を「持って行ってくれや」と連絡が入った。
倉庫は戦後間もなく作られたものだった。今でこそトタン屋根だが、もとは薄い木の板を瓦(かわら)のように並べた柾(まさ)ぶきだったことがわかる。太い梁(はり)には、大きな刃物の跡が何カ所も付いている、まさかりの一種の刃広(はびろ)を使って丸太から製材したためだ。斜里岳のふもとの木を運び出したのだという。もちろん馬が運んできたものだ。
昭和三十年代まで、この町では山でも畑でも馬たちが活躍していた。畑起こしから収穫まで、そして冬は山仕事で、一年中休む間もなく馬たちは働いた。土木工事にも登場し、河川の付け替え工事の記録写真には何十頭もの馬が土砂を運んでいる写真が残っている。草競馬にあたる「ばんば競争」も楽しみのひとつだった。驚くばかりの普及ぶり。彼らのいない生活など考えられなかったのではないだろうか。
しかし、あんなにたくさんいた彼らの姿を、今では見かけることすらほとんどない。そんなに昔ではないはずなのだが、馬具も馬ソリも馬喰(ばくろう)も歴史的存在となってしまった。時代が大きく変わってしまったことを、届けられた資料を前に実感している。