北海道新聞朝刊コラム「朝の食卓」平成12年(2000)2月25日

二月のきらめき

節分を過ぎれば、こよみのうえでは春となる。まだまだ雪深い北海道では早すぎる印象もあるが、陽の光は確実に春を示している。

古来、太陽の光は信仰の対象となった。クリスマスにしても、冬至が過ぎわずかに長くなった昼間の時間を敏感に感じ取ったヨーロッパの民俗に起源を持つという。日が長くなったことを初詣の頃に気づいたことがある。しかしこれは「昔から正月過ぎればアホでもわかるて言うねん」と母親の言葉に一蹴されてしまった。

こんな自分でも、北海道に来て初めての冬には太陽の動きが気にかかった。日が高く昇って行かないのである。生まれ育った京都と札幌とは、緯度にして約七度の違いがある。これが太陽を見上げる角度にそのまま反映されるのだが、このわずかな差を感じ取ったのである。真冬日が毎日続くという寒さは大丈夫だったのに、高く昇らない太陽と、あっという間に暮れてしまう午後の光には、今でも寂しさを感じてしまう。

けれども近頃の陽の光は心強い。屋根のつららも長くなり、降る雪も重く湿ったものになってきた。なによりも日暮れの時間が遅くなった。季節は着実に進んできている。きらめきの春はもうすぐだ。


<前へトップページ著作と経歴次へ>
Copyright (C) 2000 宇仁義和  unisan@m5.dion.ne.jp