地方における生涯教育で学芸員制度が果たしてきた機能と役割の検証―韓国との比較から

地方小規模博物館の教育事業と学芸員の役割:長野県

学芸員は博物館の教育事業を土台から構築する

 教育事業は現代の博物館の重要な役割です。学芸員養成課程でも2012年の入学者から博物館教育論の授業が取り入れられています。この授業の教科書とされる書籍を見ると、例示するのは3大都市圏の館園が中心であることがわかります(図, 宇仁2024)。この図は『博物館教育論 新しい博物館教育を描き出す』(小笠原ほか 2012)と『博物館教育論』(大高・寺島 2022)の2冊から、教育事業が紹介された館園の位置を示したものです。図には東北地方から中部地方、四国や九州にも紹介事例があるのですが、これらのほとんどが文学館と絵本美術館なのです。他の館種と区別するために小さくて見づらいですが「 * 」を付けています。つまり、この2つの教科書では、郷土博物館や地方総合博物館の教育事例はほぼ取り上げられていないことがわかります。
 そこで、北海道と長野県の小規模博物館について、教育事業の様子を紹介しました。聞き取りから気付いたことは、小規模館では、学芸員自身が教育事業の舞台作りを仕事としていることです。具体的なさまざまな形態があり、自治体のいわゆる地域づくり事業の取組の中心として学芸員が教育事業を実践する事例、文字通りフィールドを国有林から確保して活動場所の創出と維持、地域の企業の技術者が指導者となるような場の提供、などです。これら裏方の仕事は、博物館教育の論文や教科書、授業では紹介されることが少ない部分ではないでしょうか。学芸員の仕事は舞台の上にも下にも広がっていると強く感じました。
 地方の小規模博物館の仕事が知られないままなのは、教科書や論文に掲載されないことに加え、外に向けた情報提供が限定的なことも大きな理由と考えます。具体的には年報が未発行であったり、紙媒体に限られインターネットで見られない状況にあることです。結果として小規模博物館の状況やそこでの学芸員の取組は、地域の関係者や自治体のサービスエリアでのみ共有されるに留まってしまいます。加えて、市町村の事業の性格や条例の都合から博物館の名称が表に出ない事例も存在します。
 博物館の役割や学芸員の仕事については一定の理解が共有されています。そこに加えて、見えない部分の仕事とその重要性が評価される仕組みや行動が必要ではないでしょうか。学芸員による教育事業の舞台作りについては下の報告もご参照ください。
宇仁義和. 2024. 地方博物館の教育事業の多様性と学芸員の役割. 全博協研究紀要, 26: 1–16. PDF 1.1 MB
平塚市博物館年報を読む(本サイト内)

長野県の小規模博物館

北海道版はこちら

 長野県は、都道府県別で見た登録博物館の総数と人口あたりの設置数が第1位で小規模館が多数存在します(表1, 宇仁2024)。また、北海道と同様に広く、複数の圏域のまとまりがあることなど、地方博物館の特性が表れた地域と考え、文献調査や聞き取りをおこないました。ウェブサイトへの言及がありますので、学会発表で用いた類型区分(独立型、垂下型、埋込型)を掲載しています。
右図出典:宇仁義和. 2021. 地方博物館のネット活用の現状と向上策ウェブサイトと紀要の公開状況から. 全日本博物館学会第47回大会. 高知 2021.6.27. PDF 5.8 MB

白馬五竜高山植物園
公式サイト 白馬五竜高山植物園-標高1515m、幻の青いケシやコマクサなどの貴重な高山植物をゴンドラに乗って気軽に
希少な絶滅危惧種、タカネキンポウゲ、クモマキンポウゲ、公開中です! | 緑の調律日誌 | 白馬五竜高山植物園
 白馬五竜高山植物園はスキー場を経営する民間企業が夏季「グリーンシーズン」の集客対策としてゲレンデに造った植物園です。その後は長野県で唯一となる日本植物園協会に加盟して大会ホストも務めたほか、希少種の保全活動、その他の栽培にも協力しています。教育活動としては、これらの活動の報告会や「学芸員ガイドツアー」と題した観察会が開かれています。「全国博物館園職員録」には掲載が無い施設ながら、職員には学芸員有資格者が2名あり、今後は標高1500mの立地を活かしたグリーンシーズンの教育事業のさらなる展開が期待されます。
写真:アルプス平広場 photo by 白馬五竜高山植物園

安曇野市豊科郷土博物館
公式サイト 豊科郷土博物館 - 安曇野市公式ホームページ
博物館年報 - 安曇野市公式ホームページ
 安曇野市豊科郷土博物館は旧豊科町に開館、2017年に合併による安曇野市の誕生後は指定管理者による運営となりましたが、2012年からは直営に戻されました。教育活動について、2022(令和4)年度の年報から教育事業を拾うと、講座・学習会・展示解説96回3,420人(企画展関連14回309人、講座25回258人、学校連携31回2,109人、他館連携14回343人、出前12回401人)。友の会の活動は11の部会で会員数延244人、活動参加者合計2,530人となっており、住民の参加参画の様子が伺えます。
 公式サイトはたいへん充実しており、必要な情報が十分に得られます。市役所サイトへの埋込型であるのでページ下部の住所や電話番号は市役所のものが示されていることは注意が必要です。博物館の連絡先はページ下部の市役所案内コーナーの上、そして左側の利用案内にある「入館料 開館時間 休館日 アクセス 学校での利用について」に記されています。年報も2012(平成24)年度からインターネット公開されており、pdf版のネット掲載を前提とした誌面はフルカラーです。限られた財源のなか便利で現実的な刊行方法でしょう。
写真:「令和4年度年報」安曇野市豊科郷土博物館 2023

松本市山と自然博物館
公式サイト 松本市山と自然博物館
松本市 山と自然博物館 | 新まつもと物語 展示室の写真を多数掲載
松本まるごと博物館 市内各館へのリンクや新館オープンまでのコラムなどがあります
 松本市の市街地北側の丘陵地にあるアルプス公園に位置する自然と景観に恵まれた博物館です。松本市は2012年に松本市博物館条例を全面改正し、市内に20近くある博物館や展示施設を松本市立博物館に統合、それ以外の施設は分館または付属施設の扱いとしました。山と自然博物館も分館となり、公園の指定管理者による運営されています。ただし、学芸業務は直営です。学芸員1名が配置され、教育事業は立地を活かしアルプス公園での自然観察会を中心に実施しています。館内には国土交通省松本砂防事務所が所管する砂防学習館を併設しています。
写真:博物館の近くにある「デーラボッチの足あと」と呼ばれる窪地

岡谷蚕糸博物館
公式サイト 岡谷蚕糸博物館 | シルクファクトおかや
SILK OKAYA物語 – 岡谷市について – 岡谷シルク
岡谷蚕糸博物館 シルクファクトおかや | 株式会社乃村工藝社 / NOMURA Co.,Ltd. 展示工事を担当した企業による展示紹介
YouTube【シルキーチャンネル】岡谷スタンダードカリキュラム(前編) 小学生の蚕糸学習活動の様子
 蚕糸産業で栄え、そこから派生した精密機械工業の集積地となった岡谷市にとって、岡谷蚕糸博物館は地域の象徴といえる施設です。教育委員会の施設として開館後に産業振興部に移管され、地域ブランドの拠点となっています。教育事業として、来館者向けには糸繰りなどの体験、併設する現役の製糸工場の見学と繭[まゆ]を使った講座があり、地域向けには教育委員会全体で取り組む「岡谷スタンダードカリキュラム」を進めています。「総合的な学習の時間」では、小学生が飼育する教材用カイコを温度調整しながら長期間にわたって供給するのが役割です。所蔵資料には指定文化財や認定資料を含み、その一部は農林水産省のデジタルアーカイブ「明治期の農林水産業発展の歩み(蚕糸業)」としてインターネットで公開されています。年報は未発行です。
写真:館内にある「カイコふれあいルーム」

下諏訪町立諏訪湖博物館・赤彦記念館
公式サイト 諏訪湖博物館・赤彦記念館(トップページ) | 下諏訪町
諏訪の下駄スケートコレクション|国指定文化財等データベース
諏訪の下駄スケートコレクション 文化遺産オンライン
下駄スケートが登録有形民俗文化財に 諏訪湖や厳冬が育んだ文化 下諏訪町の関係者喜ぶ|信濃毎日新聞デジタル 信州・長野県のニュースサイト
下駄スケート、国文化財に 諏訪湖博物館所蔵130点 117年前に誕生、全国に広まる /長野 | 毎日新聞
 下諏訪町立諏訪湖博物館・赤彦記念館はアララギ派の歌人・島木赤彦の文学館と考古資料と民俗資料による郷土資料館との2つの展示からなる複合施設です。民俗資料は諏訪湖の漁具と指定文化財となった下駄スケートが中心。教育事業では、まちあるき講座と夏休み漁業体験の2つを実施していたのですが、新型コロナ流行後は漁業体験は中止されています。学芸員は1名。講座の実施では県内外から関係団体の支援を受けておこなうこともあるそうです。年報の発行はありません。
写真:登録有形民俗文化財「諏訪の下駄スケートコレクション」

諏訪市博物館
公式サイト 諏訪市博物館
指定文化財・遺跡のご案内 - 諏訪市公式ホームページ ページ下部に「文化財一覧表」のpdfあり
長野県・諏訪市|地域から見る 文化遺産オンライン 諏訪市内の国指定文化財と関連リンク
 諏訪市博物館は諏訪大社本宮の近くに位置します。公式サイトから2023年度の事業を拾うと、特別展「諏訪湖 -自然・人・未来-」、ミニギャラリー展「速報展 小丸山古墳出土品 令和4年度保存処理完了公開展」、特別展「蓼科保養学園・メモリアル」、ミニギャラリー展「矢澤米三郎と牧野富太郎」、指定文化財展「未来に伝えよう諏訪市の文化財ー上諏訪編ー」、ミニギャラリー展「没後10年 宮坂光昭 考古学と諏訪信仰」、企画展「没後50年 考古学者 藤森栄一と諏訪の考古学」と多くの企画展示が開催されているのがわかります。教育事業については「収蔵品の貸し出し」と「学芸員の出前講座」が案内されているほか、(一社)大昔調査会が運営する「すわ大昔情報センター—」と名付けられた図書室で、同会との共催によるフォーラムを年複数回実施しています。年報は過去には発行されていましたが、現在はありません。
 情報の更新は公式フェイスブックが主体となっています。
写真:常設展示室2考古資料と諏訪の暮らし

伊那市創造館
公式サイト 伊那市創造館/伊那市公式ホームページ
「大昆蟲食博」の仕掛人、創造館 捧館長に聞く。伊那谷のおいしい昆虫 | 長野伊那谷観光局
伊那市創造館ニュースレター「創造館だより」 バックナンバー2011年度(1–11号)本サイト内
 伊那市創造館は館長を公募するなど一般的な郷土博物館とは路線の異なるユニークな博物館です。教育事業についてはニュースレター「創造館だより」にお知らせと一部の開催報告が掲載されています。残念ながらインターネットに掲載されるのは過去半年分だけで、それ以前のものは削除されて見られません。年報は開館から数年は発行されていたものの、現在は非発行となっています。「地方博物館の教育事業の多様性と学芸員の役割」(PDF 1.1 MB)にはバックナンバーを取り寄せて作成した新型コロナウイルス流行前の2018年度の教育事業の一覧表を掲載しています。内容は、考古、工作、映画、音楽、料理、昆虫食と多種多様、JAXAから講師を招いた講演会も開催されています。年報の発行はありません。
写真:博物館の建物は1930年に開館した伊那市指定文化財「旧上伊那図書館」

飯田市美術博物館
公式サイト 飯田市美術博物館
インフォメーション | 飯田市美術博物館
ブログ | 飯田市美術博物館
 教育県として知られる長野県のなかでも飯田市は社会教育が盛んです。東京大学教育学部が報告書「人が育つまち人が育てたまち飯田」(直リンク1.9MB)を出すほどです。飯田市美術博物館の教育事業も充実しており、詳細は充実した年報で知ることができます。ただし、年報のインターネット公開はされていません。
 そこで頼りになるのはウェブ情報です。公式サイトの情報は簡潔なものの、それを補うブログ形式のインフォメーション | 飯田市美術博物館、さらにブログ | 飯田市美術博物館が存在し、膨大な情報が掲載されています。ところが関連情報のリンクや誘導が不足気味で「インフォメーション」と「ブログ」には存在する膨大なページに蓄積された情報を探し出すのはたいへんです。必要なページに行き着くにはGoogle検索を入口にする必要があるようです。
写真:常設展示室民俗芸能コーナー

満蒙開拓平和記念館【学芸員不在】
公式サイト 満蒙開拓平和記念館 - 満蒙開拓平和記念館ページ
満蒙開拓平和記念館(長野県):本人が語る76年前の「地獄の逃避行」 国策による苦難の歴史伝える | nippon.com
山本慈昭 - Wikipedia 平和記念館がある阿智村の出身で教員として満州に渡る。中国残留日本人孤児の帰国事業に尽くした
全国一の開拓民を送り出した長野県 満蒙開拓平和記念館―戦争と自治体― | 論文 | 自治体問題研究所(自治体研究社) 県別送出状況表を掲載。長野県は満州開拓団員3万人以上、満蒙開拓青少年義勇軍を6千人送出
満蒙開拓の記憶2_戦後75年 SBCアーカイブス 信州の戦争と平和 | SBC信越放送
 満蒙開拓平和記念館は、「全国博物館園職員録」にも掲載が無い施設ながら、活動内容は資料の収集、展示、教育利用とまさしく博物館そのものといえます。教育活動は、学校や団体向けの平和教育が主体で、解説には下伊那地域に居住するボランティアが活躍しています。新型コロナウイルスの流行以降は県内の修学旅行での訪問が増えたそうです。学校団体の場合は、小学生向けと中学生向けの学習ガイド平和学習の実践例が用意されています。このほか、自治体の初任者研修の受入や公民館学習での見学者もあります。出版物の販売はネットショップ作成サービス「BASE(ベイス)」を用いた公式オンラインショップを開設、カード支払やコンビニ決済、QRコード決済などにも対応しています。小規模博物館には適したサービスかも知れません。年報の未発行です。
写真:建物外観 by Ebiebi2


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