北海道博物館協会学芸職員部会への寄稿(2002)

知床博物館在職中に「地方博物館はこのままでよいのか」という小文を書き、そのなかで「個人営業の学芸員」=独立学芸員を提案しました。書いた時にはまさか自分がそれを実行する羽目になるとは思っていませんでしたが。この文章は北海道博物館協会の学芸職員部会の記念誌に寄稿したもので、いわば関係者向けの内容ですが、独立宣言として掲載しました。

地方博物館はこのままでよいのか

地方博物館は今存亡の危機にある。設置者である自治体の財政的困窮と再編による予算削減、エコミュージアム・試験場の一般公開・森林センター事業など類似施設の増加、娯楽性を備えた大規模小売店舗など競合施設の進出。これらは予算の削減と入館者の減少という目に見える危機をもたらした。

一方で総合学習の開始により校外授業の受け皿としての期待はかつてない高まりを見せている。児童生徒の利用増は劇的だったが、学校教育の下請け機関になりかねない危険性を秘めている。学芸員という専門職員を置き、資料の収集と研究を本務とする博物館が単なる社会教育機関に埋没する発端となるかもしれない。本来これらは公民館や図書館などの社会教育施設、児童館などの福祉施設などが担う事業だったのではないか。

戦後社会教育の成果と個人の自由時間の増大や教養・旅行機会の増加・情報の共有などにより博物館が持っていた数々の優越性はもはや枯れ果てた。個人の趣味や特技に依存した普及事業は、社会教育主事あるいは個人主催のイベントともはや区別が不可能だ。放課後博物館は立地条件に恵まれた地方館ではすでに実現し、常設展示は飽きが来ている。普及事業はロビー展・特別展、講座・講演会・観察会とすでに十分やってきた。カタカナ言葉に言い換えようとも、ネタも手段も使い果たした。社会教育法・博物館法施行から半世紀を経て、地方博物館は間違いなく曲がり角に立っている。

自治体合併や独立行政法人が実現し、明日は昨日でなくなった。「国土の均衡ある発展」の看板が下ろされた今、地方は個性を持たなければ自らの衰退を阻止できない。博物館も同じ運命だ。博物館の個性とは資料と研究の反映に他ならない。もっともっと資料を集め研究をすべきはずなのだ。自然の監視や聞き書きの作成は我々の他に誰がやるのか。個人の発想による研究も奨励されるべきものだ。

でも、だけど、そうはいってももう言うな。事情は互いに知れている。自治体設置の生い立ちが希望の未来をしぼませる。ならば法人化はどうなのか。リスクはあるが構想する価値はあるのではないか。もともと自然も文化も歴史でさえも自治体の線引きとは独立して存在する。我々は本質的に自治体設置の枠組みを越えた仕事をしてきたのだ。身の丈にあったうつわとは独立法人だったのではなかろうか。

地方博物館の将来は、独自性のあるテーマのもと独立した法人格を持ち、その機能を活かした収益事業を行いながら運営し、科学研究費を勝ち取り独自の研究を進めていく。現在の博物館どうしの合併もあろう。展示室はボランティアで運営し、学芸員は一個所に集合して研究を進め、ディレクターの役割を果たすかもしれない。資料管理は収蔵庫とD型倉庫を備えれば効率的に実現する。古写真と文書資料は文書館でも設立しようか。自治体合併を好機と捉え、郷土館から脱皮しようではないか。

学芸員自身が攻めの事業展開をしてもよい。試験研究機関はそのターゲットだ。国や道の機関では一般公開や公開講座が流行中だ。ならば研究機関の普及事業で渡世する学芸員、個人営業の学芸員というのはどうだろう。都会では「キュレーター」を名乗る商売があるではないか。そして児童生徒の相手には大学生のインターン、資料管理は技術を保持する高齢者の援助を求めよう。大工仕事やデザインの専門家にも居てほしい。多様な専門職で構成される博物館こそ理想ではないか。学芸職員部会で実現の方法をまじめに考え研究する価値は十分にあると考えている。

少なくとも不景気な顔と話はもうやめよう。荒唐無稽な話でもいい。おおいに夢を語ろうではないか。今すぐに出来ることだから。


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