大英博物館 The British Museum は日本では博物館の本家本元と考えられている。見るべき点は人気ある老舗が抱える課題をいつかは解決してきた実践力だ。古くは自然史部門の分離、近年では建築の大改装と図書館の分離独立がある。小さいところでは展示手法やケースの使い方にも注目したい。資料の収集と所有の問題に対しても挑戦を受け続けてきている。博物館の存在意義とは何か。その回答は存在のあり方で示されている。
入館者が飛び抜けて多い博物館にとって、混雑の緩和や滞留場所の確保は大きな課題である。大英博物館の年間入場者は約500万人である。無料なので、もともと入館券の購入のための行列は発生しない。それでも入館者と収蔵資料の増大は、この博物館を危機的な状況にまで追い込んだという。ここでの回答は、中心の円筒状の特別展示室と周囲をロの字に取り囲むと建物との間にガラスの屋根を掛けることだった。2000年にオープンした巨大なドーナツ状の広場「グレートコート」はさまざな空間を創出した。広場によって建物間の行き来が楽になり、見学者は動線に自由を得た。集合場所の確保、売店や休憩場所も新たに作られたのである。これによって公開エリアは4割増加したという。
この大改造は大英博物館の内部で完結するものではなかった。現在の特別展示室は元は図書館の閲覧室(リーディングルーム)であり、東側の展示室も書庫として使われていた。これらの膨大な蔵書は1997年に大英図書館の新館に移管された。大英博物館のグレートコートは国家的事業として取り組まれた大改造なのである。ロンドンにとって博物館は文化的にも経済的にも重要な資源である。ロンドン市の観光リーフレット*によれば、入場者の多い見所10か所のうち、なんと8か所を博物館が占めている。その重要性は東京とは比較にならないほど大きい。
*ロンドン市の観光リーフレット WELCOME TO LONDON INFORMATION TO START YOUR VISIT WINTER 2011/12 (PDF2MB)にある「十大見所 Top 10 Attractions」では、1位が大英博物館、以下、テート・モダン、ナショナルギャラリー、自然史博物館と4位まで博物館が占め、6位に科学博物館、7位ビクトリア&アルバート博物館、9位国立海事博物館、10位ロンドン塔(英国博物館協会の定義では博物館に含む)と博物館が8つと大半を占める(残りはマダム・タッソーと大観覧車ロンドン・アイ)。選定基準は入場者数である。さて、ここは入館無料だけに、ふつうは無料で手に入るリーフレットは置かれていない。代わりに立派な館内図が2ポンド、館内図付き展示解説が6ポンド、音声ガイドは5ポンド、玄関には募金箱が「ぜひ5ポンドを」と呼びかける。
左:音声ガイドの貸出場所。館内図や案内書も販売。右:玄関に置かれた募金箱「いらっしゃいませ、まずはご寄付を」、5ポンドが目安らしい。大英博物館の建物は展示のために造られたものである。とはいっても展示と建物は別という考え方で、建物は建築として完結している。日本の博物館建築が展示と一体となっているのとは対照的だ。室内は博物館らしい装飾はほどこされているものの、基本的には天井の高い四角い空間である。そこでの展示方法は簡単にいえば資料を置くだけである。場合によってはケースを使用し、照明を取り付けることもある。展示物の多くは美術品や歴史的価値が高いと見なされており、「説明不要」な資料も多い。人類史上の宝の展示であるので、説明的なグラフィックや補足としてのマルチメディアはほとんど使われていない。感覚的な表現をすれば、美術館のようといえる。そして—くどいですが—地震がないから自由度が高い。
展示室の配置は、エジプトやメソポタミアなどの石像や彫刻、ギリシアやローマの美術品などは手前にあり、東洋美術や北米先住民は奥側になっている。おおぜいの観光客が目当てにする人気のお宝は手前に、一部の興味ある人のみが見るであろう資料は奥側にと置かれている。感心するのは座り込んで模写するスペースがところどころに存在することだ。年間500万人の入館者でにぎわうといっても均一に混雑するのではなく、人気の少ない展示室ではゆっくりと鑑賞することができ、資料の配置やケースの工夫によって独り占めできる空間まで生まれている。グレートコートは広場そのものであり、にぎわいのなかで個別にくつろぐことも可能だ。
ギリシアのパルテノン神殿の彫刻、通称「エルギン・マーブル」。博物館の存在意義に関わる問いかけがあるが、立ち止まって考える人は少ない。大規模な博物館の場合、展示や収蔵資料が自国で完結することは少なく、他国からの持ってこられた資料を含むことが多い。一部に言われるような略奪品はさすがにあり得ないが、合法的に入手されたものでも、その当時の常識や力関係が今日的には問題ありと見なされることがある。池澤夏樹さんの『パレオマニア』で紹介されたとおり、大英博物館にもいわくつきの資料がある。
よく知られているのがギリシアのパルテノン宮殿の大理石装飾、通称「エルギン・マーブル」だろう。展示室には、めずらしく大きなグラフィックというかサインが置かれ、装飾がロンドンに来た理由、今日も見学できる装飾の場所、ギリシア政府の要求などについて質問が記されている。そして詳しい内容はリーフレットをどうぞとある。
けれども実物を目の前にしたら、まずは資料に近づいて見て、よく観察して、それで満足してしまう。難しい議論は展示室の外で行なうのがふさわしいのかもしれない。
左:グレートコートは展示にも使われる。2000年の大改装によって、それまでロンドン市内の別の場所で展示されていた民族資料が戻ってきた。民族資料とは衣服や生活道具、祭りや儀式の品だが、ジェームズ・クック(キャプテン・クック)が1700年代に収集した資料を含む一級品である。ここでもグラフィックは少なく、先住民の生活を伝える写真と簡単な解説文が少しあるだけだ。全面がガラスの展示ケースは格式張らずにきれいだと思う。巨大な資料はグレートコートの空間に置かれている
大改装によって円形の閲覧室(リーディングルーム)は特別展示室に転用されたが、東側の建物は2003年に大英博物館の生みの親ハンス・スローンが生きた18世紀の啓蒙運動 Enlightment の展示室に生まれ変わった。当時の収集や科学の営みを現代的な視点で否定的に見るのではなく、現在の科学や思想を生んだ示談としてまっとうに評価する展示である。啓蒙運動について実物資料で語り、博物学の科学史博物館あるいは大英博物館の博物館といった内容だ。やや暗い室内、派手な資料はないが、時代の空気を感じさせる展示となっている。
数百年前の科学や技術、思想が現在のものとの連続性が明確なこと、それらが古典古代とも継続が見られること、このあたりがヨーロッパの強さ素晴らしいところである。そこに幾ばくかのフィクションや飛躍があったとしても、大筋ではその物語りは有効である。日本をはじめ東洋には伝統のうえに西欧文明を移入して今日がつくられた。自然史学と庶民的自然愛好との断絶も根本的にはそれに起因する。断絶を統合に変える認識の変化を博物館から始めたい。(2012.2.1 訪問)
【行き方】ラッセル・スクウェア駅 Russell Square などから徒歩10分
館内図(英語)各展示室の解説にリンクされています。
参考文献:The Trustees of British Museum Press. 2003. 大英博物館 日本語 館内マップ付き, 96pp. The British Museum Press, London. 6£.