ロンドン科学博物館 The Science Museum, London は自然史博物館の隣、ビクトリア&アルバータ博物館の向かいに建つ。展示は初期の蒸気機関から宇宙開発まで、迫力ある産業技術の記念物が主要資料となっており、純粋な自然科学の資料は目立たない。フランスやオランダが科学史上の栄光を誇るのとは異なり、現在の生活に直結する技術はイギリスが開発したことを前面に出している。キャッチフレーズは Making the Modern World か。
イギリスの国立博物館は原則無料。ここも入館無料なのだが、寄付に関してはきわめて積極的。募金箱を置いておくのではなく、スタッフが箱を掲げて迫ってくる。さて、展示室は蒸気機関を集めたエネルギー・ホール Energy hall で始まる。日本では蒸気機関 steam engine というと機関車のイメージであるが、18世紀末にマシュー・ボルトン Matthew Boulton とジェームズ・ワット James Watt が実用化した蒸気機関は、炭鉱の水抜きであったり、水門の開閉といった大がかりな固定の装置だった。ホールではそれら最初期の実物が出迎える。黒光りのする木と鉄でできた巨大な仕掛け、大きくて見栄えがし、仕組みは単純で感覚的に理解できる。しかも実際に使われていた実物という、展示にはうってつけの品物である。
これらは坑道や井戸で使われたので、全貌を見せるには相当な高さが必要。実際、展示室には作用部分は収まりきらず、全体の説明には縮小模型が使われている。時代背景を説明するためのグラフィックも多い。このあたりは大英博物館や自然史博物館とは展示資料の質が違うところ。
上左:トンプソン Francis Thompson による現存最古の大気圧機関 Atmospheric engine、1791年。上右:ボルトンとワットによる現存最古の蒸気機関 'Old Bess' beam engine、1777年。
科学博物館というと展示装置で物理現象を見せる子ども向けの科学館かと思ってしまうが、産業技術の歴史博物館としての役割も果たしている。子ども向けの案内書は偉人の名前や歴史的な記述は、意図的だろうか、少なく、科学館的イメージに仕上げている。実際には中高年がじっくり見入る歴史の展示も多く、いろいろな楽しみ方ができる博物館である。産業革命は人間がつくった歴史的な偉業、自然科学も人の営みの積み重ねということがよくわかる。
エネルギー・ホールのオンラインガイド(英語)
200年前の蒸気機関の次は一転、宇宙開発の展示室になる。ロケットエンジンの実物や模型、月着陸船のレプリカ、宇宙服など事実伝達と宣伝を兼ね備えた展示で、とくに子どもを意識した内容なのだろう。ロケットや宇宙船、人工衛星の実物やレプリカが置かれたり吊されたりと首が痛くなりそう。
科学博物館の本館は1928年に完成したものだが、宇宙の展示室は古さを全く感じさせない。柱が多いのが難点だが、暗く人工照明で調光された別世界にいるようだ。飛行機や船の展示は模型の連続、あるいは実物があってもおおざっぱな印象になりがちである。それをおぎない変化を付けるのがグラフィックの役割である。また、図表や機械の写真ばかりでも無機質で人恋しくなってしまう。そんなとき人間や顔が見えるとほっとする。
意外だったのは人類初の宇宙飛行士、旧ソ連のガガーリン Юрий Алексеевич Гагарин、Yuri Alekseyevich Gagarin が巨大なグラフィックで扱われていたこと。ここで個人の展示コーナーがあるのは、彼以外ではホーキング博士 Stephen William Hawking のみで、アポロ11号で月面に降り立ったアームストロング Neil Alden Armstrong とオルドリン Edwin E. Aldrin, Jr. のパネルはない。旧ソ連のロケットや宇宙船、その他の宇宙技術を見てみたいものだ。
この博物館の見所は技術史の展示にある。それも現代の日常につながる技術、近代世界をつくりあげた産業技術を実物で追いかけることが可能なのだ。産業革命を最初に実現したイギリスはその牽引役だった。イギリスが現在の世界をつくったのですよ、という展示である。イギリスにはニュートンとダーウィンという科学界では誰よりも大きな影響を与えた2人の巨人がいるものの、高校の教科書に載るような大学者は多くない。美術や音楽といった芸術でもフランスやドイツにはかなわない。だから19世紀の産業技術がロンドン科学博物館の主題なのだろう。
現存最古あるいは実用鉄道に使われた最初の蒸気機関車、FF小型車のお手本となったミニ、アメリカのT型フォードやドイツのメルセデス、さらにV2ロケットまである。すべては現在に直結する技術遺産、産業遺産といえるもの。
左:日常生活の技術 1968–2000年、コンピュータやテレビと並びレゴやエレキギターも。右:交通の展示では蒸気機関車や自動車、船、雪上車まである。
4階(日本式)には飛行 Flight の展示室がある。モンゴルフィエ兄弟の熱気球や羽ばたき方式の飛行装置から最近の民間機まで機体とエンジンがぎっしり展示されている。飛行機マニアやエンジンマニアのウェブページには個々の資料が解説されている。紫電改に積まれた中島飛行機(現・富士重工業=スバル)の「誉」もあるらしい。
世界の航空博物館「ロンドン科学博物館・エンジン編」
2000年に開館した新館 Wellcome wing は暗い室内に多色彩の人工照明を当てた未来的な雰囲気。気候変動を含めた大気圏の展示、再生医療や生殖技術など先端技術の展示があり、有料でIMAXシアターが鑑賞できる。
それにしても未来を主題にした展示は、なぜ人工照明で過剰に演出された暗い展示室になるのだろう。未来技術は自然から離れ、お天道様とお別れするからなのか。そのイメージは古いと思うのだが。
展示は、ほかにも時間の計測、宇宙と文化、農業、金属とプラスチック、宇宙ジョージ3世王のコレクションからなる18世紀の科学 Seicence in the 18th century、大気 atmonphere、ヘンリー・ウェルカムの医学史コレクション The Welldome Museum of the History of Medicene、数学やコンピュータなどの展示室がある。日本の科学館のような物理現象を見せる展示装置がある展示室「発射台」Launchpad は子どもでいっぱいだ。もちろんお弁当が食べられる無料の休憩コーナーもしっかり用意されている。
イギリスが世界に冠たる分野に焦点を当てた展示、産業革命を最初に実現したイギリスにしかできない展示。あからさまな国威発揚ではない。文化遺産を集めて見せる、実物資料で歴史を語る。淡々とした展示のなか、国の誇りが現れている。(2012.2.2 訪問)
【行き方】地下鉄サウスケンジントン駅 South Kensington から徒歩10分、門まで地下道が延びている
展示ガイド(英語)
館内図(英語) PDFへのリンクあり