ロンドン自然史博物館 The Natural History Museum は大英博物館の設立から数えて250年の歴史を持つ。大聖堂を思わせる現在の建物は1881年の開館である。19世紀そのままの展示室もある一方、空中回廊を増設した展示室やマルチメディア展示などの改装部分も多く、近年ではガラス張りの収蔵研究棟ダーウィンセンターを増設した。英国国営放送BBCや出版物との連携も多く、英語を武器に影響力は世界中に広がっている。老舗は常に最先端を走り続ける。
自然史博物館で一番人気は恐竜の化石。ここでも玄関ホールにディプロドクス「ディッピィ Dippy」が鎮座する。これは実物ではなくレプリカ(キャスト)で、本物はアメリカのピッツバーグにあるカーネギー博物館にある。スコットランドの百万長者アンドリュー・カーネギー Andrew Carnegie が寄付したもの。ベルリン自然史博物館もおなじキャストだ。ここは無料の博物館だから、寄付金もたいせつな財源。あの手この手を使った寄付金集めをしているとおり、ここでは募金をすればディプロドクスがカラー照明で照らされるというもの。金額によって色彩が異なり、3ポンドでライトアップされ light me up、5ポンドで色が付き colour、10ポンド出すと咆哮 roar が聞かれる。
人気の恐竜展示室は2000年代に改装公開された。新展示は空中回廊をめぐらして動線の一方通行と上からの視線を確保した。全体に窮屈な印象はぬぐえないが、建物の制限に対する回答だ。この方法はすでにエコロジーの展示室で導入されている。化石は点数は膨大というほどではないが十分にあり、カナダやアメリカなど他国産の購入標本やレプリカも多い。化石をイギリス一国の産物として扱うのではなく、研究や展示に必要な標本は地球規模で集めるという姿勢なのだろう。
逆に目立つのがテーマパーク的な製作資料やグラフィック(展示パネル)だ。映画「ジュラシックパーク」以降定番となった動くティラノサウルスはもちろんのことや頭部の模型、重要人物の写真や化石発掘道具などで埋め合わせをしている印象もある。
この博物館の人気コーナーのひとつが鯨類ホールである。シロナガスクジラやホッキョククジラ、コククジラ、マッコウクジラといった大型鯨類の骨格標本に加え、シロナガスの原寸模型が目の前に寝そべっている。小人になった気分だ。写真にはないが、回廊には種ごとの展示コーナーがあり、ジュゴンなどの海牛の展示はシロナガスの頭側、尾の方には化石鯨類コーナーがある。骨格標本は天井からの吊り下げで、目線の高さにはなく、また真下部分は模型やはく製があって入れないのは残念なところ。全体的に遠くから眺める展示といった印象だ。
鯨類ホールにはカバ、サイ、ゾウ、キリンといった陸生大型獣のはく製が配置され、ホールに通じる通路にはライオンなどのはく製がならぶ。古い動物園のような形態展示である。
上左:オオサンショウウオの模型と骨格標本。一方、魚類や両生爬虫類の展示はやや寂しい印象。硬骨魚類はニシン目やサケ目、コイ目のような古い系統から最新のスズキ目、そして肺魚までが1つの展示ケース。もう1つはヤツメウナギから軟骨魚類全域、なぜかカサゴ目までを含める。標本数も少ない。魚竜化石の充実ぶりとは対照的だ。さらに思い切った割り切りは海生無脊椎動物の展示。訪問時はなんと講座で使用中で閉鎖されていた。部屋の作りも講座での使用を前提にしてあるようで、教材を並べる机やコンピュータが置かれ、床も座りやすいよう?にじゅうたん敷である。
標本に囲まれた展示室は講座には理想的な広場となる。しかし、一般観覧者による混雑や通路の必要性から広場はを作るのは困難とされているようだ。また広場の確保は展示場所をつぶしてしまうので、これも広場ができない一因となる。ロンドンでの回答は、明快に広場優先である。
展示を使って地味な生きものたちの存在を知らせることは重要である。それらを人気資料への動線上に配置して、強制的に見せることも理解できる。逆にマニアックな資料は遠方や側方に配置して、見たい人だけが見ればよいという考え方もある。そうすれば普段は人数のない展示室は一日数時間は講座の場所やグループが集う広場としても利用できる。
この博物館の展示は1881年から公開された。その後は現在に至るまで、新しい手法を取り入れた展示室が加わり、展示の多様性が高い。展示の歴史の博物館としても興味深い。19世紀の雰囲気をほぼそのままに伝える展示が鉱物展示室である。木製キャビネットが列をなし、自然採光が基本、人工照明は蛍光灯だけだ。魚竜化石や鳥類展示室も当時の古い姿を残す。こちらは照明が工夫され、鳥類などは新しいはく製も見られるが、実物資料による比較形態展示が基本だ。それにしても魚竜の化石は平面的に押しつぶされ、場所がとらなくて助かるものだ。
標本展示では小さすぎて面白くない、気味悪くて見せられないということか、節足動物の展示は昆虫を含めて模型や造作が目立つ。展示室全体を楽しい雰囲気にして、避けられがちな生きものに親しんでもらうという演出なのだろうか。
一方、エコロジーや人体の展示は20世紀末のマルチメディアを多用している。内装や造作が建物の天井や壁面を完全に覆っている場所が多く、人工照明が主体で場所によっては室内は暗い。建築空間は利用するが、視覚的には19世紀の建物を否定し、展示室は建築から完全に離れて存在する。資料と建築の両方から博物学を感じるという古典的な期待に対し、斬新な展示で切り返そうという意図だったのだろう。映像や音声の再生装置は、youtube と iPhone の時代となっては時代遅れになってしまった。
地下の無料休憩室 Picnic Area
それから、さすがと思うのは地下にお弁当が食べられる無料休憩所が用意されていること。博物館で勤めている頃、学校の団体見学の申込でふたことめに聞かれるのが「お弁当食べる場所はありますか?」だった。こういう場所がない場合、晴れていれば外の芝生でとなるが、雨だと最悪の場合お弁当はバスのなかになってしまう。ちょっと楽しい無料休憩所はほんとうに大切な施設なのです。
地質学の展示は別棟にある。ここは地質学博物館だった建物で1985年に自然史博物館に併合された。現在の展示はおそらくすべて合併後の作品で、暗い室内、人工照明、造作の多用といった20世紀末の装いである。建築と資料がばらばらで一体感が見られないのはちょっと残念。宝石や結晶などは見た目に面白く、解説などは不要だが、多くの岩石や鉱物の展示はその成り立ちの説明が必要になる。それは物理学的な理論であり、本来ならば数式と元素記号が記述される。できるだけわかりやすく、見た目にも美しく展示するとなると写真パネルと概念図の多用となるのだろう。岩石の多くは灰色だから、図や造作は派手な色使いになるわけだ。
展示テーマは、地球の成り立ち、火山、鉱物資源、そして地震などで、地震に関しては阪神淡路大震災の展示がある。スーパーマーケットの店内を再現した地震体験部屋がある。店内の様子は時代考証が不十分に感じたが、それを凌駕してあやしいのが日本語の看板。意味が通じない言葉で書体もおかしい。どうして大英自然史博物館とあろうものが、こんな展示資料をつくってしまうのだろう。
ロンドン自然史博物館は何度も建物の増築を行ってきた。2009年には研究収蔵棟ダーウィンセンターが開館した。収蔵庫は外からも目立つ巨大な繭 the Cocoon に納められている、それをガラス張りの外壁で覆った。最初の写真の左端にその一部が見えている。収蔵資料の一部は常に公開されており、ガイドツアー the Spirit Collection Tour に参加すれば研究室を含め収蔵棟の内部が見学可能だ。入館者と研究者が自然史研究の興奮を分かち合う場ということらしい。より積極的にアマチュア自然愛好家との橋渡しの場にはアンジェラマーモント・センター Angela Marmont Centre for UK Biodiversity が用意され、コンピュータを駆使した最新技術の音響と映像が体験できるアッテンボロースタジオ Attenborough Studio もあり、建物の外にはイギリスの野生動植物園 Wildlife Garden も造られた。
こうやって展示を見わたすと、とても単一の博物館とは思えないほどに展示手法に違いがある。手法の違いは、時流の学問を反映している。ロンドン自然史博物館は、館内を歩くだけで自然史展示と自然史学の歴史を追体験することができるのである。(2012.1.31 訪問)
【行き方】地下鉄サウスケンジントン駅 South Kensington から徒歩7分、門の近くまで地下道が延びている
館内図(英語) PDFへのリンクあり