遠く北海道から寄稿しています。なぜ、今年は九州大学で「国際博物館の日」にニュースレターを出したのか、その訳を「言い出しっぺ」からご説明いたします。
「国際博物館の日」は1977年に国際博物館会議(ICOM)の総会で決議され、翌年から実施されている世界的な博物館の記念日です。しかし、日本ではその意義や存在はほとんど知られていません。それは博物館の関係者にも責任があります。じつのところ、自分自身、現役の学芸員時代はこの日を無視していたのです。日常業務で手一杯の地方博物館にとっては、ICOMの存在など頭の片隅にもなかったのです。
ところが去年のこの日、NHKBSニュースが伝えた北京からのトップニュースが「国際博物館の日」の記念事業でした。もちろん北京オリンピックに向けての当局の宣伝でもあったのでしょうが、よい意味での建前であり、啓蒙でしょう。
ICOMについても同様で、会員にもなり情報収集をしていくと、途上国を含め先導的役割を果たそうとしていることがわかりました。もしかしたら日本だけ取り残されているのではないか、そんな思いになったのです。
そこで、勝手に「国際博物館の日」を盛り上げる、それを利用して各自の博物館を宣伝する/博物館を応援することを諸君、しようではないか、というメールをごく少数の知人に送ることを始めたのでした。現在、日本の博物館業界、学芸員の思考はあまりに内向きです。この日を使って閉塞感を打破する第一歩にしようではないか、と。
ためしにICOMのウェブサイトを見ると、この日の活動例が紹介されています。無料入館やバックヤードツアーなど一般向けの行事に加え、博物館や専門職員どうしの交流や研究会、行政や議員など設置者や意思決定機関に向けたアピール活動も載っていて、日本で想像する記念行事以上の広がりが描かれています。母の日やバレンタインデーのように、なかなか日頃は感謝の気持ち?を示しにくい相手に対して、言葉を伝える日でもあるようです。
それから、アメリカ博物館協会(AAM)の「国際博物館の日」活動事例集も案内されていて、1冊5ドルという値段だったので、試しに買ってみました。中身は、実際のプレスリリースやチラシのコピー集で、安上がりな冊子でしたが、たくさんの資料が集まるのは、現場の博物館の活動が活発で、かつ、AAMに求心力と実行力があるからでしょう。
そのチラシを見ていて思ったことは、celebrate の意味するところです。参加・一緒・やろう、というイメージで受け止めました。主催する博物館とそこに参加する市民/住民/一般のひとたち(日本語によい書き言葉がない)、が対等のように感じられるのです。この日の下には平等だと。未熟な英語感覚がそうさせるのかも知れませんが、日本語の、祝賀・記念とはどうも違った語感です。すべてが上下関係を基本とする書き言葉の日本語がうとましい。大和言葉あるいは方言であれば上手に表現できそうですが。
ところで、ICOMは国際博物館の日への参加を「地球規模の博物館コミュニティ」に呼びかけています。しかし、日本に博物館コミュニティは存在するのでしょうか。博物館はそれぞれが特殊で、他の館とよい関係を作り、それを続けることがなかなかできません。学芸員どうしの付き合いは濃密ですが、組織としての関係は断ち切れています。日本の博物館コミュニティは実態としても感覚的にも存在しないでしょう。
それでも、美術館や水族館などは業界があり、コレクションや雑誌といった商品や市場が形成されているように思えます。一般の人からしても、おしゃれでデートにも使え、感性的な会話が弾む、館が募集する写真や作品展への応募、あるいは個人の創作の提供といった参加ができるのです。
問題が深刻なのはオーソドックスな博物館です。ここには商品市場も参加もできていません。ここに現在の危機があるのではないでしょうか。対処の方法として、子どもや一般に向けての普及活動の重視、博学連携などの動きがあるのでしょうが、本質的な解決策は別の場所にあるように思えてなりません。
そんななか、三木美裕さんの『キュレイターからの手紙〜アメリカ・ミュージアム事情〜』(アムプロ・モーション.2004年)が目にとまりました。買ったままで読んでいなかったのですが、中身を見ると、わが方でもすぐにできそうな具体的アイデアがいろいろありました。特定の年齢や観覧者による展示評価、教育用コレクションの抽出、非公式アドバイザーの依頼、(教員との)茶話会、(学芸員ホストの)飲み会、などなど。どれもこれも「国際博物館の日」にもぴったりで、お金が掛からず、すぐにできそうなプランです。
では、なぜ、これまでできなかったのか?それは、博物館、とくに公立館が、観覧者にも自分たちにも平等性や匿名性を求めてきたからではないでしょうか。税金で運営される博物館にとって「非公式な」依頼や目星をつけた人物を頼った評価はたいへんにしづらい。あの人が適任とわかっていても、相応の役職がなければ選択の理由付けで困ってしまう。学芸員の発想は規則の前に挫折する。博物館は人だ、と言いつつも、個人とのつながりや信頼関係を否定する仕組みが足かせとなる。ここに本当の課題があるのではないでしょうか。
「国際博物館の日」は何よりも博物館自身が元気になれる、そのきっかけにこそふさわしいのです。上意下達の行事遂行ではなく、館や個人の発案からさまざまな活動が起きてくればと願っています。
北海道では5月18日は、花見(連休前後)とよさこいソーラン祭り(6月第2日曜日に向かう水〜日)の間にあって、「休日は近くの博物館にでも行ってみよう」という気分になる日です。愛鳥週間(5月10−16日)の直後ですので、国民的には野外活動や運動の時期ですが、「国際博物館の日」が初夏の文化の日というような位置付けで定着してくことを期待しています。