北方圏センターが発行する『季刊・北方圏』108号(1999)に掲載された「スカンジナビア北極圏の博物館」に口絵グラビア「スカンジナビア半島・北極圏」とウェブページへのリンクを加え再構成したものです。本文はおおむね掲載時のままですので、開館時間などが現在と異なっている可能性があります。
*2014年10月に外国語標記を追加し、リンクを更新しました。
このなかで紹介したアルタの町は、網走と類似点が多いと感じています。まず、首都からみて遠隔地にあること、そして海に沿って細長く伸びる市街地、とくに鱒浦からの景観は東から眺めたアルタにそっくりです(ローカルな表現お許しを)。世界遺産「アルタの岩絵」に隣接した博物館は、ヨーロッパ最北端というノールカップ Nordkapplatået, Nordcap, North Cape への旅路の最後の休憩場所としてにぎわっていました。網走も世界的に有名な「モヨロ貝塚」があり、「日本の最果て」世界遺産候補の知床半島への最後の都市という位置にあります。流氷と監獄に加えて、歴史と遺跡にもっと着目すべきでしょう。 右上:真夜中の太陽(フィンランド・イナリ川)
北欧諸国は博物館が充実しており、学芸員としてはぜひ見ておきたい場所のひとつ。昨年(1998)6月下旬の夏至の頃、フィンランドのイヴァロ Ivaro からイナリ Inari、ノルウェーのラクセルブ Lakselv、アルタ Alta、トロムソ Trømso にかけての海岸部を旅行する機会に恵まれ、北極圏の博物館をいくつか見学することができた。これらは規模は決して大きくはないが、みな個性豊かで、しかも世界からの観光客を想定している。旅行者として訪れた博物館から受けた印象を、日頃感じていることを織りまぜながら書いていきたいと思う。
道路にトナカイ。自由に過ごしているが、すべてサーミの人たちの家畜(フィンランド・イナリ湖付近)
スカンジナビア半島北部はラップランド Lapland と呼ばれ、サーミの人たちが住んでいる地域だ。以前は、辺境を意味する「ラップ」が民族呼称とされてきたが、現在では自称の Sàmi (サーミまたはサミ)が用いられるようになっている。彼らは先住民族の政治参加の先頭に立っており、民族の議会や旗も持っている。
イナリのサーミ博物館は、1998年4月1日に展示室がオープンしたばかりの新しい博物館で、サーミ語で「トナカイ放牧の共同体」を意味する「シータ」 SIIDA の愛称で呼ばれている。白老町のアイヌ民族博物館とは姉妹館の関係にあるそうだ。
この博物館は、もとは1959年に野外博物館として設立された。丸木づくりのラップランドの住居、トナカイ飼育を行うサーミの人たちの休憩小屋、それから伝統的な船とソリ、野生動物を捕獲するワナなど。資料はどれも昔ながらの暮らしに関するものだ。一方、新しくできた展示室は、伝統的な文化にとどまらず、スノーモビルに象徴されるサーミの人たちの現代の生活も紹介している。また自然と文化、伝統と現代というばらばらになりがちなテーマを統一的に扱っていることも特徴だろう。一年を夏と冬の二つに分ける語り口が、北極圏での生活を印象づけている。
建物には北ラップランド・ビジターセンターが併設されている。文字どおり旅行者向けの施設で、他では入手し難いフィンランド北部の野鳥や自然を紹介した書籍、ハイキング用の地図が販売され、国立公園の情報も手に入る。釣り、マウンテンバイク、カヌーなど野遊びのリーフレットも充実しており、日本ではほとんど案内のない地域の情報だけに貴重な存在だ。次に訪れたトナカイ追い込み柵の存在は、ここで初めて知った。
開館時間は夏期(6月1日〜8月31日)は、朝9時から夜9時まで、その他の季節は午前10時から午後5時まで。月曜休館。野外博物館は夏期のみのオープン。
フィンランド北西部に位置するレンメンヨキ国立公園 Lemmenjoen kansallispuisto Lemmenjoki National Parkは、面積2855平方キロと北海道の桧山支庁とほぼ同じ広さがあり、なだらかな起伏の土地にアカマツやトウヒの森林が広がる。その中部、イナリから Kittilä キッテラ(キッティラ)に向かう道路を70kmほど走るとレポヨキ川 Repojoki とぶつかり、この奥にサーミの人たちが使っていたトナカイの追い込み柵 Sallivaara reindeer round-up fence がある。
サーミの人たちが大規模なトナカイ牧畜を生業とするようになったのは18世紀以降のことと新しく、その地域はフィンランド北部からノルウェーに限られていた。現在では、北欧には野生のトナカイは1頭もおらず、すべてが家畜となっている。道路沿いで見かけるトナカイも、よく見れば耳にタグ(札)やナイフの印があったり、首からベルをぶら下げていたりする。
この地域でトナカイは、夏の間は所有者の元を離れ、大地を自由に移動する生活を送っているが、秋になると次第に集められ、12月から1月の満月に近い夜(とはいっても一日中太陽の出ない時期なのだが)、それぞれの所有者に分けられる。レポヨキ川近くのサリバーラの柵はその作業に使われていたものだ。
サリバーラ Sallivaara は1896年から追い込み地として利用されるようになり、1933年に柵が完成した。柵は長さ1.5キロにおよぶ木製のもので、まわりには20個ほどの宿泊小屋があった。しかし道路の整備によって新しい追い込み地ができたため、1964年の冬を最後に実質的には使われなくなり、次第に荒れていった。今ある柵は、まわりの小屋とともに1980年代後半に復元されたものだ。そして現在も国立公園を特徴づける景観として大切に保存されている。
このトナカイの追い込み柵に行くには往復約5時間のハイキングが必要となる。出発点の駐車帯には解説板がありトナカイ牧畜の一年と追い込み作業が図解され、フィールド・ミュージアムの入り口にふさわしい感じだ。途中の道のりは十分に整備されており、白樺の明るい林を抜け、湿原をとおり約6キロで到着する。行ったときには、小鳥やトナカイの群れが現れた。終点の小高い丘からは追い込み柵の全景を見ることができ、その大きさが実感できるだろう。なお、途中で水は得られない。
Outdoor.fi のページに簡単な案内があります Sallivaara Trail
アルタはヨーロッパ最北端ノールカップへの沿線に位置し、スカンジナビア半島を北上してきた観光客にとっては最後の休憩場所となっている。目的は世界遺産「アルタの岩絵」。岩絵は約3000個が数えられており、およそ6000年前から2500年前の間の石器時代後期に作られた先史時代の遺跡だという。岩絵はフィヨルドに面した海岸にあり、ぐるっと見てまわると数kmの距離を歩くことになる。行ったときは時期が少し早かったが、岩絵を巡る遊歩道のまわりは自然のお花畑だ
アルタ博物館は、はじめから観光客を意識して造られているようだった。たとえば建物は北欧らしい明るい白木造りで、ガラス張りの喫茶室からはフィヨルド全体が一望できる。屋根はおそらく地場産のスレートを用いている。設計も地元で行ったという。売店は、これぞミュージアム・ショップというべきもので、絵はがきの種類は多く、本は写真集から各地の博物館が発行している小冊子、専門的な書籍まで取りそろえている。衣類では、Tシャツからセーター、帽子、カップや食器、それからアクセサリーやキーホルダーなどの小物類まで品揃えがとにかく豊富だ、ここだけでも十分時間が過ごせる場所になっている。それから珍しくリバーサル・フィルムも売っていた。スライドの映写会が家庭に普及しているアメリカ人を想定してのことだろうか。
一方、展示室はアルタの歴史を中心に据えたもので、毛皮交易や銅山開発などの産業史、フィヨルドを舞台とした第二次世界大戦記、オーロラ観測史、ダム建設反対運動と幅広い内容でたいくつしない。しかも地域の個性が際だつものばかり。岩絵を目当てにきた人たちにもアルタの歴史を伝えてみせようという意気込みが感じられた。館内には日本語版の展示案内があるが、これは本紙(季刊・北方圏)でエッセイを連載されている木村博子さんの手によるもの。感謝。
現在のアルタは観光客が必ず立ち寄る場所となっているが、これには博物館の存在も無視できない効果があるのだろう。アルタ博物館は1993年にヨーロッパで最も権威ある博物館賞「今年のヨーロッパの博物館」(European Museum of the Year Award)に選ばれている。
トロムソ博物館 Trømso Museum - Universitetsmuseet は1872年に設立され、百年以上の歴史がある。1967年からはトロムソ大学の一部となり、研究内容も、地質学、植物学、動物学、考古学、サーミ民族誌、近代文化史をカバーする総合博物館となった。
展示の目玉の一つは、絶滅してしまったオオウミガラスの剥製だ。この体長70cmを越える巨大な飛べない鳥は、過剰な捕獲が原因で絶滅してしまった。しかも種が消えゆく最後の段階で、貴重な標本を競い合って手に入れたのは博物館だった。この剥製標本は我々関係者に重い問題を投げかけている。
産業の展示は、北海道の博物館と対比ができる内容だ。おもしろい。干しタラは、中世から続くノルウェーの代表的な輸出産品で、もちろんその展示がある。しかし、北海道ではサケやニシンに比べて冷遇されているのだろうか、博物館がタラを取り上げることは少ない。重要度の違いといえばそれまでだが、斜里町ではスケトウダラの乾物が全国一のシェアを占め、稚内では京都の名物料理「いもぼう」の材料となる干ダラを生産しているというのに。
さて、この博物館の一番の特徴は出版活動だと思った。遠隔地の博物館ではどうしても来館者が少なくなりがちで、出版物は多くの人に活動内容を知ってもらうには欠かせない。ここでは北極圏研究の専門書はもちろんのこと、一般向けにノルウェー北部の自然と歴史をテーマをにした小冊子「オッター」(Ottar)を一年に五回刊行している。これは地元向けということでノルウェー語だが、英語のシリーズも年1回発行されている。地質、自然、産業、文化と多岐にわたるテーマで小冊子を定期的に刊行していくのは容易なことではない。トロムソ博物館の場合は、大学の研究者が執筆するという仕組みで成り立っているようだ。大学での研究を博物館が身近な話題に加工する。この方程式が上手く作られているのだろう。大学院生が博物館運営に参加することもあるようだ。
トロムソ博物館の開館時間は、6月から8月は午前9時から午後8時まで。また、トロムソはスカンジナビア半島中部に位置し、空港やホテルなど観光施設が整った街である。日本では紹介されることは少ないが、登山やスキーツアー、イヌゾリツアーなどさまざまな野外活動の拠点ともなっている。
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北欧のガイドブックではストックホルムの野外博物館スカンセン SKANSEN があり、オスロのフラム号博物館 Frammuseet やバイキング船博物館 Vikingskipshuset、コンチキ号博物館 KON-TIKI MUSEETなどが魅力ある訪問地として真っ先に紹介されている。スカンセンは近代化の過程で失われつつあった地方の特色豊かな農家と生業、手工業を生き生きと再現し、オスロの船の博物館(海事博物館 Norsk Maritimt Museum)は圧倒的な迫力で海洋王国ノルウェーを見せつける。どちらもその国の歴史や故郷を大切にする心から生まれたものだ。しかも来館者が楽しく過ごせ、また来たいと思わせる演出がなされている。*ストックホルムではヴァーサ号博物館 Vasamuseet も必見です。
それにくらべ、北極圏の博物館は地味かもしれない。しかし、この地域でしか見られない自然、独自の文化遺産を発掘し鑑賞にたえる形に仕上げていた。目に見える部分以外にも学ぶ点が多いに違いない。
<文献目標>
宇仁義和. 2004. ノルウェーのクジラと捕鯨を巡る旅. 北方圏, 129: 12–15, 口絵. 北方圏センター, 札幌.