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日本色覚差別撤廃の会・会報 No.15      200512

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日本色覚差別撤廃の会平成17年度総会 特別講演記録

 

講演『法律家からみた色覚問題』

    会員 鶴見俊男氏

先ほどは小浜さんの「なぜ作家にしかなれなかったか」という題で凄絶ともいえるお話があった。私もいわば「なぜ弁護士にしかなれなかったか」という話に事欠くことはないのだが、今回は(総会実行委員会の注文でもあるので)弁護士あるいは法律家から見た色覚問題という題で若干の話をさせていただく。

その前に私も自身の個人的体験について述べるならば、私は東京で生まれて多摩地域で育ったが、やはり私も小学校の健康診断の色覚検査には非常に傷ついた経験がある。学校の健診の際にみんな並ばされて、自分の番がだんだん近づいてくるとどきどきし、結局どうにもならずにまごまごしながら検査を受けたものであった。それが今でもいたく心の傷になっていることは間違いない。

6年ほど前に弁護士会で高柳先生の「色覚異常に関する人権問題」という講演があったが、そのときの資料の一つ、悪名高き石原式色覚検査表は、いまだに見るのも苦痛であった。当時はまだ学校の色覚検査は廃止されておらず、一刻も早くこういうものは無くさなければならないという気持ちで、本会に参加した。

本日は「学校の色覚検査をめぐる諸問題の総括」という配布資料があるが、実は私の話を俟つまでもなく、すでに簡潔に問題の本質がまとめられている。

まず色覚問題といってもいろいろあるが、その中で一番大きいのが色覚差別の問題で、これについては、なんといってもこれは人権問題だということの意識がこれまであまりにも足りなかったということを強調したい。たとえば就職差別、進学差別、これらは憲法14条(平等)、13条(幸福追求権)、あるいは22条(職業選択の自由)に明らかに違反するものである。

これに加えて学校での色覚検査については、そのように個人の遺伝情報にかかわる検査を一律強制的に行うのは、プライバシーを保障した憲法21条ないし13条に違反するという問題である。たとえば13条というのは、すべて国民は個人として尊重され、自由を追求する国民の権利については公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とすると定められている。この意味するところは、要するに一人一人の個人はいろんな個性を持っており、その個性を前提にして個人個人を尊重しなければならないということである。色の見え方なども一つの個性であって、その個性を大事にして、誰でもが自分の個性と能力を生かして、幸福を追求していくことができるのだし、国政上もそういう形で個性を尊重していかなければならない。これは憲法上の大原則で、こういう大原則からすれば、先ほど小浜さんが語られたような不合理な社会的差別は決して許されるものではない。

この就職差別、進学差別、その他いろんな社会的差別につながることであるが、これの前提になっていたのが石原式検査表による学校での色覚検査であった。要するに石原式検査表を読めない人に色盲ないし色弱というレッテルをはって障害者として位置づける。そのようなものに対して、科学的な根拠も実証的な研究もなしに一律に広範な進学差別、就職差別、資格差別が行われてきた。要するに小学校における健康診断によって色覚特性をもつものを見つけ出し、合理的な理由もなくそのようなものを社会から排除してきたのである。こういうことを国がやってきたのである。もう少し強い言葉で言えば、学校における色覚検査は「先天的な異常を有するものイコール社会的差別を受けるもの」の形で、健康診断の名の下に強制的に検査を受けさせて選別する役割を担っていた。全く根拠のない差別が、進学差別や就職差別になり、さらには結婚差別や深刻な社会的問題につながり、また子どもの心に大きな傷を与え続けてきた。

実際、石原式検査表を読めないと言うことがただちに就学上の障害や職業上の障害に結びつくものでないことは当事者の話を聞いてもよくわかる。石原式を読めなくても立派に医師あるいは研究者として活躍している人たちは存在するわけである。さらに先ほど人権問題といったが、人権の制約は必要最小限度でなければならないというのが憲法原則である。憲法的な価値観から言えば石原式検査表が読めないということは、石原式検査表を読めないという事実を示すだけでしかない。ここから直ちに就職差別や資格差別に結びつく必然性は全くない。これは高柳先生が言われるところの「眼科的色覚検査は遺伝的色覚異常の検査であって、実社会における色識別能力を判定する検査表ではない」ということを法律的に述べたのだが、まさにそういうことであって、石原式検査表が読めないと言うことだけで社会から排除されるということは、憲法的な理念からいえば訴訟にでも持ち込めばまず負けない裁判になるのではないか、と考えられる。

小浜さんのお話のような実態は戦後長らく放置されてきた。例のハンセン氏病の問題には私の友人の弁護士も参加していたが、ハンセン氏病といわれるだけで、妊娠しているハンセン氏病患者の堕胎を強制するという、それも行政または医師が協力するという、本当に考えられないような人権侵害をつい最近までやってきたということである。色覚差別の問題もやはり同様な構造をもっていて、科学的根拠もなしに広範な制限を加えて、多くの人々の就職にかかわる問題もそうだが、心の問題にまで障害を与えてきたということである。

今般いろいろ改善が進んで、就職・就学・資格制限は本会をはじめとする関係者の努力で減ってきてはいるが、なくなったということではない。これからも差別撤廃への努力は必要である。現実の労働現場などにいまだに色覚を理由に、解雇、転職、配置換えといった問題も生じているようだ。そのようなとき、本会として支援体制をとることは、その過程の中で不当な差別をなくしていくことにつながる。私としてもそれにはできるだけの協力を惜しまない。

憲法問題もさることながら、いわゆる個人情報保護法あるいは保護条令との関係についても述べなくてはならない。それに関連して最近の『日本の眼科』(日本眼科医会発行)に新井真理氏が報告している京都市の色覚相談事業について、これが従来の学校における色覚検査とどういう関係にあるのか、この事業の存続をわれわれはそのまま認めていいのかということについて述べたい。

新井氏の文章を要約すればつぎのようである。色覚相談事業は京都市の行う事業、つまり地方公共団体が主体となって行う事業である。京都市教育委員会が京都市学校医会に委託して平成75月に発足させた。この事業は色覚検査の爾後措置として色覚異常の児童生徒に対するきめ細かな個別指導を実践的に行うためのものであり、色覚異常を適切に理解させ、対処の仕方を会得してもらうとともに、相談の内容を学校に持ち帰って職員で共有し、その上で児童生徒の指導に当ってもらうことを目的としている。こういう事業目的である。これは従来、色覚検査の必要を主張する人たちと、結局は同じ主張である。要するに目的は従来のそれとたいして変わらない。

また色覚相談の流れについて、つぎのように記されている。色覚相談の流れは問診表やアンケートを利用して、色覚検査を希望する児童を募ることから始まる。これに応じた児童生徒については保護者の同意を得た上、学校で(「学校で」であることに注意)検査を実施する。そこで石原表の1表でも読めない、または誤読があって異常が疑われた場合には、学校長は保護者に眼科受診を勧める。眼科医において一般検査を行い、先天的色覚異常が疑われると色覚相談紹介状を発行し、学校へ渡す。学校長は教育委員会に申し込みをし、教育委員会が日程を調整して相談日を設け、児童、保護者、養護教諭あるいは担任同伴で検査・面談を行う。こういう仕組みになっている相談事業である。

2003年に学校の色覚検査は必須項目から削除されたのであるが、この色覚相談事業をそのまま存続するということになると、いままでの事態とどれだけ違うのか、という問題意識を私はもつものである。なぜかと言えば、まず問診表やアンケートを配布することの問題である。これはなんのために配布するのか、全員に配られるのか、回答が強制されるのか、という点が問題になる。回答は強制的ではないにしても、検査を促す意図は否定できない(そうでなければアンケートの理由がない)。その後の検査の段階で同意を得ることになってはいるが、アンケートに肯定的な保護者が検査を拒否することはあり得ないから、この同意は形式にすぎない。

そういうわけであるから、仕組みの上では改善したかのようではあるが、このまま他の自治体でも行われるようになると、いままでの色覚検査と変わらないような状態が学校に定着してしまう。2003年の廃止は喜ばしかったが、いまはむしろそんな危機感をもっている。はたしてこういう相談事業が本当に必要なのか。仕組みにも問題があるし、そもそもその目的の法的根拠ないし正当性が認められるか。検査項目から削除されたにもかかわらず、こういった検査を地方自治体が行う法的な根拠はどこにあるのか、疑問は多い。

この事業が正当といえるかどうかは、その目的の正当性の問題でもあるが、その目的として、「児童に対処の仕方を会得させる」というのがある。しかし対処の仕方とは果たして何なのか。あなたには色覚特性がありますよ、石原表が読めませんよ、ということを教えて、それでいったい対処の仕方はなんなのか、生徒はどう対処すればいいのか。そんな「うまい話」のないことは心ある当事者の誰もが知っていることである。これは多分、暗黙のうちに就職差別や進学差別の存在を前提にした上で、結局のところ、あんたはここには行けないよ、というだけのことに違いなく、そんな対処の仕方では、到底、相談事業の正当性の裏付けにはなり得ない。

色覚特性を有する児童生徒の学級活動における個別指導の必要性が唱えられているが、それも具体的にどういう指導なのか。基本的にはこれは色のバリアフリーを教育現場に実現するという形で解決すべきものであって、一人一人に対して個別的な指導をするといっても、なにも中身はないだろう。実際、どういうことが行われているかわからないが、私にはこの個別指導の内容をイメージすることはできない。これは個別指導という名の下に、色覚相談事業を存続させるということだけで、実態はないものと考える。

以上は相談事業の問題点を概括したものだが、これを個人情報保護法との関係でみたらどういうことになるか。個人情報保護法というのは今年の41日から施行されているが、個人情報保護法という基本となる法律があって、その下にいろいろ行政機関が保有する個人情報の保護に関する法律、それから独立行政法人云々に分かれる。地方公共団体については条例で規定されることになっている。条例については京都をとりあげるならば、京都にも京都市の個人情報保護条令というものがある。京都市で行われている色覚相談事業はまさに京都市の個人情報保護条令によって規制される一つでもある。

同条令ではまず第61項に利用目的による制限というのが設けられている。つまり個人情報を蒐集しようとするときは、個人情報を取り扱う事務の目的を明確にし、当該目的を達成するのに必要な範囲で適正かつ公正な手段で蒐集しなければならない。「事務の目的を明確にし」というのは、まさに当該地方公共団体の事務を遂行する上において必要だということでなければならない。どういった事業目的のために必要かということも明確にしなければならない。さらに当該目的の達成のために必要な範囲内で収集しなければならない。さて色覚相談事業の目的について、この保護条令との関係で言えば、それは明確か、それは地方公共団体の事務を遂行するために必要かということになる。そうなるとこの相談事業は非常に曖昧で、保護条令に違反する可能性もある。

さらに強調しなければならないのは、実施機関は思想・信条および宗教に関する個人情報ならびに人種・民族その他社会的差別の原因となる恐れがあると認められる社会的身分に関する個人情報を収集してはならないことである。これは原則禁止である。したがっていわゆる遺伝子情報にかかわる色覚問題についても基本的に原則禁止である。もちろん例外はあり得るが、色覚は原則禁止にかかわる情報なのだということは強調しておきたいと思う。これはセンシティヴ情報の収集禁止といわれるもので、先ほど言ったような情報に関しては蒐集してはならないというもので、京都市条例第23項に定められている。センシティヴ情報は行政機関の保有する個人情報の保護に関する法律についての国会の付帯決議によるものであるが、思想、信条、宗教、病気および健康状態、犯罪容疑、判決および刑の施行猶予ならびに社会的差別の原因となる社会的身分に関する個人情報の取得と保有を問題にしている。こうなると、まさに色覚検査による情報取得は、こういったセンシティヴ情報の取得であって、原則としてそれは禁止されている。この原則の例外とされるためには、よほどきっちりとした目的なり、なんなりを京都市側で立証しなければならない。

どうして京都市や眼科医会が色覚検査にここまでこだわるのか、よくわからない。なにか経済的な問題とか、があるようでもない。つまりそんなに儲かるものでもない。ともかく眼科医会の議論を見ていると、どうしても色覚検査を廃止したくないという動きがある。加えて文部科学省も児童や保護者の同意があればやってもよいというような通達を出している。小学校における色覚検査の廃止という本会の当初の目的が達成されたかのようであるが、まだまだ油断できない。子どもたちの心が傷つかないようにするという目標からすれば、今後もこの問題については撤廃の会としてはつねに情報を収集して変な方向に行かないようにする必要がある。

最後にさきほど話題にでたマニフェストについてであるが、私も撤廃の会としてマニフェストを出すべきだと考える。ただしその際に日本眼科医会が言っているように将来子どもたちが就職差別や進学問題でとりかえしのつかないことにならないようにするために色覚検査が必要なのだという、これは私は俗論だと思うが、それに対する明確な差別撤廃の会としての見解を出す必要がある。

バリアフリーが実現しても、どうしても残る部分が出てくるであろうと考えられる。すなわち正常者といわゆる異常者との最終的な区別が必要になる、その場合にどうしたらよいのかということを、むしろ差別をうける側の者が参加している差別撤廃の会がそういった問題についてなにか具体的な提言のようなものがでれば一層よいのではないかと考える。

また差別に対する司法的な救済については本会はもうすこし積極的になってもいいように思う。司法の場に持ち込んでも、判決で100パ−セント勝てるという問題でもないが、その中でさまざまな議論がなされ、さらに一定の裁判所の判断がでれば、これは行政その他に対する影響も大きい。あまり消極的にならずに、そういう問題でやっていこうということがあるなら、それはやった方がいいだろうと思う。そういうケースに対する撤廃の会の支援活動に、協力を惜しむものではない。

                     (文責編集部)

 

色覚異常は劣性遺伝ではない― 石原表で女性の色覚検査は無謀

色覚差別撤廃の会 顧問 村上元彦

眼科の教科書や専門書に「先天性色覚異常は伴性劣性遺伝する」とある。赤と緑の光に感じる視物質の遺伝子はX染色体上の場所(遺伝子座)も確定されたし、それらのDNAも解読されているから、伴性(正確にはX連関)遺伝は間違いない。

では劣性遺伝は正しいか? ある色覚異常の専門書は以下のように説明する。「男性の性染色体の組み合わせはXYだから、この1本のXが色覚異常の遺伝子をもっていればすべて色覚異常になる。女性の性染色体はXXで、保因者では片方のXは色覚異常の遺伝子を持つが、異常なXは正常なXに抑えられる、すなわち劣性で、表に現れない(表現型にならない)から色覚は正常である。女性の場合は両方のXが揃って異常な場合に限って色覚異常になる」。これでは論理が逆で‘始めに劣性遺伝ありき’だが、まぁ、勘弁しよう。要するに「これまでの色覚検査では保因者の色覚は正常と判定される」ことを論拠に劣性遺伝と言った訳だが、これは大間違だ。

 間違ったのは、眼科医たちが、人間の女性を含めて哺乳類の雌にはX染色体不活性化現象(以後X不活性化と略)が起こることを知らないからだ。この現象は1961年にMary F. Lyon によって確認され、彼女の名前に因んでライオニゼイション(Lyonization)とも呼ばれる定説で、多くの生物学の教科書や辞典は勿論のこと、岩波新書、岩波科学ライブラリーや講談社ブルーバックスなどの一般向けの解説書にも書いてある。

 女性の性染色体XXの片方は父親からのXXpと略記)、もう片方は母親からのXmである。男性になる受精卵の性染色体はXYで、Xは1本だけだが、遺伝子の量はこれで十分で無事に産まれて育つ。ところが女性になる受精卵にはX染色体が2本あるから、このままだと遺伝子量が多すぎて、以後の発育に重大な障害になり、胎児は妊娠のごく初期に死んでしまう。そこで受精卵が細胞分裂して胞胚期と呼ぶ時期になった頃(人間では15日目頃)、遺伝子量を減らす補償が起ってXpか、Xmか、どちらか一方がランダムに不活性化して、つぶれたX染色体は凝縮してバー小体(Barrは発見者名)になる。オリンピックなどの国際競技のセックス・チェックでは、選手の口腔粘膜をへらで軽くこすり取った塗抹細胞染色標本を顕微鏡で観察してバー小体を確認すれば女性と判定する。

X不活性化の後では、女性の個体はXpだけしかもたない細胞とXmだけの細胞が入り混じったモザイクになる。分かりやすい例が三毛猫で、それらは雌である。三毛猫は身体の毛を白にする遺伝子に加えて、Xの一方には毛の色を茶色にする遺伝子、他方には黒にする遺伝子が乗っていて、両方とも表現型になるから、身体の毛は白、茶、黒と3色のモザイクになる。

さて、XpとXmのどちらか一方だけに色覚異常の遺伝子が乗っている女性を保因者、あるいはキャリア (Carrier) という。網膜にも当然 X不活性化は起こるから、彼女の網膜は色覚が異常なパッチと正常なパッチが入り混じったモザイクになる。すなわち、色覚異常のXが正常なXに抑えられることはなく、両方とも表現型になるから、劣性遺伝は間違いである。

保因者の網膜がモザイク構造である証拠は沢山ある。@ 視野の中心近くに色の小光点を一瞬間だけ見せると、保因者は照らされた網膜の場所によっては色間違いをする。A 眼球を動かして石原表の全体を眺める時間を与えないように、瞬間的に照明を点けて石原表を見せると誤読が急増する。B 片目ずつで石原表検査をすると左右で結果が違う例がある。C 一卵性双生児の姉妹は遺伝子が全く同じクローン(Clone=同じ幹からでた小枝の意)だが、両者で眼科的色覚検査の結果に大差がある例がある。網膜のモザイク構造が姉と妹では違うためだ。D 片目は色覚正常、他眼が色覚異常の女性がいるが、彼女の網膜のモザイク構造が極端に左右不均等である稀な例と考えないと説明がつかない。 

さらに念を押すと、X不活性化は哺乳類に普遍的な現象であることは次の例によって間違いない。 ➀ デュシェンヌ型筋ジストロフィー: 保因者の骨格筋の顕微鏡検査で、ジストロフィンという筋肉細胞を保護する裏打ちタンパクがある筋線維と、ない筋線維が混在し、後者の割合が多いと保因者でも軽い症状が出る。A 無汗性外胚葉性形成異常: 保因者の皮膚は汗腺がある部分と無い部分がモザイクになっていて、まだら模様に汗をかく。➂ 血友病A:保因者では血液凝固第[因子が半量しかない。しかし半量あれば出血が止まらなくなって死ぬようなことはない。

保因者の数は男性の色覚異常者の2倍弱と計算され、女性の10人に1人くらいの多数に上るから、彼女らの網膜がモザイクであることを知らずに漫然と石原表で検査する眼科医は無知のそしりを免れない。俗に言えば、まだら眼をまだら模様の石原表で検査することはナンセンスで、誤判定が多いから禁止すべきだと考える。

ついでだが、劣性遺伝という言葉は劣悪な遺伝と受け取られて、偏見と差別を助長する恐れがあるから潜性遺伝とし、また優性遺伝は優れた遺伝という意味ではないから顕性遺伝に言い換えるのが望ましい。

 

色使いで不便はありませんか?

会員 石林紀四郎 

 コンピューターやテレビだけでなく色の氾濫は凄まじい。不要なところまで色が使われる。

 私は緑(第2)色覚だが、数年前まで高速道路の電光掲示板が2色なのを知らなかった。「○○のため注意」とか「○○まであと10q」(表現は正確ではないが)などの表示○○が赤であと緑だったと思う。色は別として文字情報は判るのでことは足りる。同じことが最近電車の中に増えた。親切に出入り口のドアの上に電光掲示板で「次は○○」などと表示されて、○○はオレンジで他は緑(だそうだ)。以前から問題だと言われている発光ダイオードの赤と緑が使われているのだろう。同じくこれも不便と言うほどのものではないがなぜオレンジと白ではいけないのだろう。それに不便ではないといってもここに問題がある。これが目立たせる表示だと勝手に思いこんでこうした色がどんどん拡大したときに何が起こるか心配になる。

 緊急事態の表示がこうした色使いであったら伝わらない危険性もあるからだ。最近東京の地下鉄の路線図や駅の表示が色覚に配慮されて改善された。しかしそれはその限りであって、鉄道会社が色覚に配慮するようになったとはとても言えない。先日は駅のトイレに駆け込もうとしたが表示から男子のマークだけが消えてしまっていて戸惑った。私の目では地の色と識別できない色だったのだ。これだって「緊急事態」(?)なのに。

 そのほかテレビの天気予報の色使いも時々不便を感じる。デジタルハイビジョンなどが普及してさらに色が多用され「双方向の放送です。画面の○○色のボタンを押して下さい」などということが始まった。ぜひみんなでチェックしたいと思うのですがご意見をお寄せ下さい。

 

色覚あれこれ−3 誤解から始まった色覚検査

 1876年、スウェーデンのウプサラ県ラゲルルンドで鉄道事故がありました。事故の原因は運転手の色覚異常のためと考えた生理学者ホルムグレンは、スウェーデンの鉄道の運転手を検査し、266名中13名が異常であることを発見しました。

 ホルムグレンの尽力により、スウェーデンの鉄道会社と海運会社の従業員は全員が色覚検査を受けることになりました。色覚異常者が汽車や船を運転することの危険性を訴えた彼の本は、すぐにヨーロッパ各国に翻訳され、大きな反響を呼びました。こうして他の国々もスウェーデンにならって鉄道員と船舶操縦士に色覚検査をすることになりました。

 ところが、ラゲルルンドで起きた事故の記録によると、機関士と駅長が規則に違反した運行をしたために、正面衝突という結果を招いたようなのです。運転士は亡くなったため、彼が本当に色覚異常を持っていたのかは不明なのです。まさに死人に口なしです。

 就職の際の色覚検査は誤解から始まったといえるでしょう。

(鈴木記)

 

CMS Letter 日本色覚差別撤廃の会・会報 No. 15

20051223日 発行

編集・発行 日本色覚差別撤廃の会